内野は家康の役作りに苦労したという
内野:ぼくも草刈ロスになりました(笑い)。前半は、真田といえば武藤喜兵衛(真田昌幸が武田信玄に仕えていた頃の名)! その名を聞くたび、アレルギーがありましたが、息子はノーマークでした。草刈さんこそが自分の敵、みたいな気持ちだったので、草刈さんとの撮影の日は、気合がいつもと違いましたね(笑い)。
――本多正信役の近藤正臣さんとの共演は、どうでしたか?
内野:近藤さんは時代劇の所作であるとか、たくさんの知識を持ってらっしゃるんです。家康が正信に「どうだ?」と視線を送るのと同じように、芝居をやった直後に私が演出家と演技についてああだこうだやっていると、「ありだと思いますよ、内野さん」と、やさしく後押ししてくださるような存在でもありましたね。
たぶん近藤先輩としては「こうした方がいいよ」と言いたい時がたくさんおありだったのかもしれない。でも、グッと押し殺していらっしゃったと思うんです。それは家康に対する正信との関係性に似ているなと思いました。
近藤さんとの掛け合いは本当に面白くて。最初は台本の指定どおり、“正信を見る家康”と書いてあると、いちいち見ていたんです。でも、見なくても以心伝心のように分かりあえてからは、芝居がスムーズに運び、楽しかったです。
――主演の堺雅人さんはどんな役者ですか?
内野:彼は博士とか教授とか学者とか、そういう感じ。非常に研究熱心で、物事を多面的に捉えています。ある日、十文字槍を扱う練習をされていたんです。「他の槍ではなく、十文字槍である必然性を出したい、どうしたらいいか」ということを、喧々諤々、殺陣師と演出家を交えてやっていらした。確かに十文字槍を持っていたらお客としては、ちゃんと使うところを見たいよなって、妙に納得しました。この人は研究熱心だなって思いましたね。
彼は非常に物事を良く考えるし、今回は歴代の大河の主役の中でも常に動き回っていて、受けの芝居が要求されたんじゃないかと思います。柔らかくいろんな人を受ける、その感覚器の多さ。受け芝居の名手ですね。ぼくにはできないなと思いました。彼は、稀有な役者さんだと思います。
【内野聖陽(うちの・せいよう)】
1968年9月16日生まれ。神奈川県出身。1992年、早稲田大学在学中に文学座研究所に入所。1996年出演のNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』で広く知られるようになる。大河ドラマ出演は2007年『風林火山』主演など、『真田丸』で3度目。
◇NHK大河ドラマ『真田丸』
毎週日曜、NHK総合20時、BSプレミアム18時放送。後世に「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評されることになる、真田幸村の成長物語。三谷幸喜脚本。