私が知り合った頃、30代半ばの楠ノ瀬は、すでに「レジェンド」だった。まず、とにかく釣りの技量とセンスで頭抜けている。それはバスプロ・トーナメントでの強さでも多くが認めるところだった。が、バス釣り人気がぐいぐい高まり、バスプロが憧れの職業として注目される前に、楠ノ瀬はその世界から離れた。
いわゆるバス釣りブームのピークは、時代の追い風を読むプロ・糸井重里の『誤釣生活―バス釣りは、おもつらい』が出版された1996年あたりだと思うが、同年に楠ノ瀬は初の著書『ルアー美学』(福原毅との共著)で、こんなことを述べている。
<プロって何なのだろう? 簡単に言ってしまえば、釣りばかりしたい人の、周囲に対する言い訳だね。それで生活できないのは、本人たちが一番よく知っている。そんな意味での、本当のプロは何人いるのかな? 片手が余ることは確実だ。もちろん彼らの情熱を茶化しているわけじゃない。釣りが、観るスポーツとして成立しにくい以上、仕方のないことだ。プロにできることは、自分たちを支えてくれているアマチュアの役に立つことだ>
幼少期から持てるエネルギーのほとんどを釣りに注いできた楠ノ瀬にとって、釣りのプロであることは生き方そのものだった。好きなことを好きなだけやることで生きていく。その思いが人並み外れて強かった楠ノ瀬だからこそ、バス釣りブームの限界をいち早く見抜いていた。
そして、ルアー製作を本業としながら、釣りとは何か、釣り人と魚のつき合い方はどうあるべきか、会う人会う人に語っていた。たとえば、バス釣りでは釣った魚の再放流が当然のマナーとされていたが、それに対し、楠ノ瀬はこうツッコミを入れた。
<極論すれば、キャッチ&リリースは、自分達がもっと楽しむために行うアングラーのエゴイズムにすぎない。内水面の限られた資源で、いかに多くの人間が長く楽しめるか、それを突き詰めて考えた結果がキャッチ&リリースだ。自然保護とかマナーだなんてきれい事を言っているから、嫌味に見えるんだと思う>(『ルアー美学』)
楠ノ瀬はきれい事を嫌う人間だった。が、同時に彼ほど、本気のきれい事を追求した釣り人もいない。キャッチ&リリースをするなら、魚を傷つけない釣りをどれだけするかだ、と一貫して主張、そのための方法を追求した。
ルアーについている釣り針には、かかった魚の口から針が外れないようバーブ(返し)が付いている。楠ノ瀬の釣りでは、その返しをペンチで潰し、バーブレスにすることが基本のキだった。かかった魚がばれやすくなると心配するより、ばれないようにする工夫を楽しめ。釣りの楽しさはそういうことだよね、と語った。
その考え方は、さらに新しいアイデアを生んだ。ルアーの針は一般的に3本針(トリプルフック)になっているが、それだと魚を傷つけやすい。1本針に取り換えるべきだが、そうしてしまうと、3本針をつける前提で作られたルアーのバランスが崩れてしまう。なら、どうするか。彼は2冊目の本『続ルアー美学』(福原毅との共著)で、次の提案をしている。
<トリプルのうち、2本を折り曲げて、ポイントをシャンクにくっつけちゃう。これで、即席シングルフックのできあがり>
3本針の2本をペンチで内側に丸めて曲げて、柄(シャンク)に針先(ポイント)をくっつけるのである。そうして1本だけ針を残せば、3本針の重量を変えず、ルアーバランスを保ちながら、シングルフック化が可能となる。
このアイデアは、私が彼とよく遊ぶようになった頃生まれたもので、「オバッチャン(私のことをそう呼んだ)、これどうよ? 根がかりも減るし、針を替えるお金も要らない」と現物を見せてくれたことがある。
手持ちの道具でいかにやりたいことを実現できるか、そういう釣りの面白さも子供たちに伝えたい、といった旨を真剣に話していた。
「だったら、何とかシステムとかじゃなくて、わかりやすいネーミングがいいよ。丸い耳2つと鼻が1本、形から言って、『ゾウさんフック』はどう?」
と私が思いつきを言ったら、
「ゾウさんフック、ゾウさんフック、いいね、ゾウさん、ゾ~ウさんだよ!」
とはしゃいでいた。