テレビや舞台で歌って踊って、時には海外ロケにも繰り出した。年の休みは1日ほどで、1日3時間の睡眠時間というハードな生活が続いた。イタリアに出向けば大手レコード会社の社長に「欧州で大々的に売り出したい。永住してくれ」と誘われ、チリでは将校からプロポーズされた。どこにいっても厚遇される中で、由美はしっかり足元を見ていた。
「撮影でモニカ・ヴィッティさんの家に行った時、彼女は16歳なのに『もっと離れて撮って』『ライトをもう少し照らして』など意見を言っていた。自分のことをよく知ることが大切なんだなと凄く勉強になりました」
1973年、22歳で出演した映画『同棲時代』ではヌードポスターに挑戦。ベッドシーンでぎこちない動きをしてしまうため、監督がバレエのように「1、2、3」と振り付けを与えるほど、由美は初心だった。裸になることへの抵抗感はなかったのか。
「1週間ほど悩みました。私の心には『絶対に見せられない』という古風な面、『作品のためなら』という現代的な面があって……。監督から『神秘的なメルヘンの物語だから』と説得されました。『メルヘン』という言葉に惹かれて決意したんです」
街に貼られたポスターは続々と盗まれ、由美ファンだった嵐寛寿郎も林家木久蔵(現・木久扇)を使って京都の街からポスターを回収させたという逸話が残る。映画館には立ち見客も入れないほど人が押し寄せた。
「映画公開後は外に出ると恥ずかしくて、下を向いて歩いていました。でも、今振り返ってみると、若い時にヌードを撮っていただいて良かった。2度と戻れないですから」
※週刊ポスト2017年1月13・20日号