「興味半分にオーディションを受けてなんとなくこの世界に入っちゃって。でも演技の勉強をしてないからこそ、逆に自分はおもしろいんだと思い込んでいました。もちろん、それは間違いだったけど、緒形さんから褒められた言葉だけを支えとして、当時は演じていたような気がします」
1990年代に入ると同世代の新鋭監督から声がかかり、『Love Letter』(岩井俊二監督)、『Helpless』(青山真治監督)といった作品に出演。さらに、1998年には『シン・レッド・ライン』でハリウッド映画にも進出し、役者としての地歩を固めていく。
だが、売れているというにはほど遠く、29歳で結婚してからの数年は、極貧生活が続いた。
「その頃、『世にも奇妙な物語』のネタが不足しているという話を聞いて、とにかく暇だったから、ワープロで脚本を4、5本書いたりもしました。採用されませんでしたけど(笑い)。
脚本家になりたかったわけじゃなく、なんとかして仕事に結びつかないかと思ったんです。芸術劇場の舞台監督にひとりで売り込みに行ったこともあります。どちらも実を結ばなかったけれど、必死にもがいている時期でした」
出演作品が増していくのは、40代の坂を上り始めた頃からだ。あきらめない地味な努力の積み重ねが次第に形となり出したのだ。たとえば、2006年から2008年の3年間で、光石は映画だけで40作以上に出演している。
「光石研、おもしろいんじゃないかと言ってくださるんだったら、それに応えたいという思いがあるんです。スケジュールさえ合えば、基本的に仕事は全部受けています。仕事のない時期をもう味わいたくないという思いがありますからね。もちろん役の得手不得手はあるんですけど」
「どんな役が不得手なんですか」と尋ねると、光石はこう答えた。
「社長さんとか、ホワイトカラーの人とか。たとえば警察物でも偉い人の役は苦手ですね。撮影のときは一生懸命やるんですけど、本当にそういう役に見えているか不安で、あとから自分で見たくないし、見ないです。政治家なんて面の皮が厚そうで、なかなかあんな顔にはなれないですものね」
●みついし・けん/1961年、福岡県生まれ。1978年、映画『博多っ子純情』でデビュー。以来、『Helpless』『それでもボクはやってない』『めがね』『あぜ道のダンディ』『共喰い』など200作以上の映画に出演。『砂の塔~知りすぎた隣人』『コールドケース 真実の罪』『奇跡の人』などテレビドラマへの出演も多い。今年の映画待機作は北野武監督の『アウトレイジ 最終章』など。
撮影■二石友希 取材・文■一志治夫
※週刊ポスト2017年2月3日号