国会に舞台を移した天皇の譲位論争の裏に、何やら不穏に蠢く影がある。安倍政権の最深部にアクセスできる元TBSワシントン支局長・山口敬之氏による深層ドキュメントをお届けする。
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この問題で最初に使われた言葉は「譲位」ではなく「生前退位」だった。この耳慣れない言葉に、この問題を巡る官邸と宮内庁、皇族との長年にわたる交渉と軋轢が見え隠れしている。
陛下が譲位のご意向を最初に示されたのは、2010年7月22日のことだといわれている。 2016年10月13日の日経新聞は、当時の羽毛田信吾宮内庁長官、川島裕侍従長などが同席する中、陛下が「元気に務めを果たせなくなる前に譲位したい」と述べたと伝えている。
当然このご意向はすぐに当時の民主党政権下の官邸に伝えられた。しかし譲位の実現には政府として超えがたいいくつかのハードルがあった。
まず皇室典範の改正には課題が多く、時間がかかるだけでなく天皇制や憲法など議論の裾野が拡大して収拾がつかなくなる危険性があった。そして何より憲法4条で天皇は国政不関与が明記されているから、陛下のご意向を受けて法改正するという流れにはできないということが最大のネックとなった。
2011年9月に首相になった野田佳彦は、この問題に取り組んだ。