桑原幸子が極寒撮影を振り返る
『プレイガール』は1969~1974年にテレビ東京系で放送された伝説の番組。ミニスカートでのアクションなど、お色気シーンが人気だった。ユッコ役で同番組に出演していた桑原幸子が夫とのなれ初めなども含め、当時を振り返る。
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知床半島に行って、零下40度のなかで裸になったのよ。1970年頃かしら。まさか、この写真を撮った人が自分の旦那になるとはね(笑い)。
夫の西木正明とは、その2年前、彼が『平凡パンチ』の編集者として、『エッチな100の質問』という取材で私の家に来たのが出会い。他の編集者もたくさん知っているけど、この人だけよ、口説いてきたのは。
西木は結婚していたし、恋愛感情はなかったわ。ただ、私は既婚者のほうが好きだった。だって、レギュラー番組を8本持っていて忙しかったし、すぐバイバイできるから気楽じゃん(笑い)。
この頃出演していたドラマ『プレイガール』は激しいアクションが多く、撮影のたびにアザを作っていたの。現場でケガして、そのまま病院に直行するコも多かった。当時は制作する東映が労働争議の真っ最中で、17時になると自動的に撮影が終わっちゃう。限られた時間でクオリティの高いものを作らなくちゃいけないから、大変だったわね。
そんな時、西木は、私の知らない世界を教えてくれる存在で魅力的だった。早稲田大学の探検部出身だから、普通では行かないような所に行っちゃうの。
この撮影の時はもう付き合っていて、プライベートの旅行だったけど、ヌードを撮るかなとは思っていた。でも、何も零下40度で脱がせなくてもねえ。風がないから意外と寒くはなかったけど、無謀よね(笑い)。撮影場所に向かう途中、車がスピンして3回転するし、帰る時も車が脱輪して、翌日の仕事に遅れてはまずいと思い、必死に何キロも歩いて空港へ向かったわよ。
当時、裸になることは全然嫌じゃなかったし、むしろ今見ても誇らしい。やっぱり、この人が夫で良かったのかもしれないわね。
●桑原幸子(くわはら・ゆきこ)1947年12月2日生まれ。東京都出身。東映児童研究所から東映専属となり、1965年に映画デビュー。夫は直木賞作家の西木正明氏。現在は、ゴム製品を販売する京浜ラバーの社長を務める
※週刊ポスト2017年3月10日号