ヒントは「派閥人事の廃止」にある。かつて派閥順送りで大臣人事が決まっていたころ、自民党では部会や委員会で各議員が専門分野を作り、その分野で大臣になるのが常だった。しかし小泉政権以降、基本的に派閥推薦をやめて総理による「1本釣り」に変わった。そのことで衆院当選5回以上の「入閣待望組」が約60人も生まれ、門外漢の分野で大臣となるケースも多くなった。
「頭脳が対応できない」金田氏の場合、大蔵省出身で、内閣委員会・農水委員会・厚労委員会委員長・自民党厚労部会長・外務副大臣を渡り歩いてきた。法務行政に明るくない人物が突然、法務大臣である。
稲田氏は弁護士出身、法務委員会理事・自民党女性局局長代理・行政改革担当相などを務めた。当選4回で1本釣りされたタイプだが、防衛行政に本格的に携わるのは初めてのことだった。
加えて金田氏のケースでは、「法務大臣」というポストの特殊性も挙げられる。法務大臣は、入閣待望組が座る“シロウトの指定席”なのだ。
中央省庁改編後の2001年以降に法務大臣になった22人のうち、実に14人が初入閣。2010年に法務大臣として初入閣した柳田稔氏は「法務大臣はいいですね。(答弁は)2つ覚えておけばいいんですから。“個別の事案についてはお答えを差し控えます”“法と証拠に基づいて、適切にやっております”って」と語って紛糾。発言から1週間あまりで辞任に追い込まれた。「うちわ」の松島みどり・元法務大臣も初入閣組(2014年)で、在任わずか48日だった。
むろん、安倍首相は金田氏や稲田氏をいつまでも放置しないだろう。予算成立後の内閣改造説も飛び交う。野党の追及で辞めさせたとなれば失点になるからしばらくは大臣を務めさせ、「国会が落ち着いたので体制を一新する」として改造で飛ばすのが着地点ではないか。
大臣になれば、旭日大綬章や旭日重光章などの叙勲の対象になる。ある厚労大臣経験者は「総理の道は険しくとも一度は大臣にはなりたいというモチベーションは、勲章から湧く人が多い」と率直に語った。
仕事がモチベーションにならないのが、日本政界の常識らしい。「答弁できない大臣」はこれからも続々と生まれてくるに違いない。
※SAPIO2017年4月号