「結論を採用する場合も、それは論理的結果としてではなく、『空気』に適合しているからである。採否は『空気』がきめる」
圧倒的に力の差があるのを理解しながら、アメリカと開戦してしまったのも「空気」だ。その結果、負け続け、艦隊や戦闘機を失い、裸になった戦艦大和を、敵機動部隊が跳梁する外海に突入させていく。それが、作戦としては考えられないと認識しながらも、「空気」に逆らえなかったというエリートたち。「空気」というあいまいなものに支配され、判断や結果に対しては、だれも責任を取らない。
ぼくたちは、いまだその「空気」に支配され続けている。見えない同調圧力のなかで、みんなが小さく縮こまってしまうことに危機感をもったぼくは、2010年『空気は読まない』(集英社)を書いた。当時、「空気が読めない人」は「KY」などと呼ばれ、のけものにされる風潮が目立った。最近は、目立つ発言をした人たちが、「不謹慎狩り」の総攻撃のやり玉にされている。やっていることは、相変わらずだ。
森友学園の国有地払い下げが、籠池氏の言うように「忖度」でなされたのだとしたら、氏は、安倍首相周辺の「空気」をうまく利用した「空気の魔術師」だ。財務省までが、土地払い下げの経緯を示す「資料はない」と言っている。