ふたりの交際にマクロン氏の両親は猛反対。父親はブリジットさんに「息子が18才になるまで身を引いてほしい」と懇願し、パリの高校に転校させてしまう。引っ越しの際、マクロン氏は彼女にこう話したという。
「ぼくは何があっても必ずあなたと結婚します」
高校卒業後、多数のエリートを輩出するパリ政治学院、国立行政学院(ENA)に進学した彼は、財閥系ロスチャイルド銀行に就職。
「この間、マクロンさんはブリジットさんに毎日電話し続けたそうです。彼の真剣な愛にブリジットさんは全てを捨ててでも共に生きることを決意し、2006年に夫と離婚。後を追ってパリに引っ越しました」(前出・在仏ジャーナリスト)
2007年、ふたりは結婚。プロポーズから10年以上が過ぎ、マクロン氏は29才、ブリジットさんは54才になっていた。銀行を辞めて政界入りしたマクロン氏は、大統領府副事務総長としてオランド前大統領(62才)の側近を務め、2014年には経済相に就くなど破竹の勢いで出世した。
「彼の演説原稿は常にブリジットさんが指導してきたそうです。“私にわかるよう直さなければ、国民は誰もわからないわよ”って(笑い)。マクロンさんは今も彼女に頭が上がりません」(別の在仏ジャーナリスト)
※女性セブン2017年5月25日号