それにしても何故、近頃の村上の小説は歴史修正主義的に読めてしまうのか。それは、この人が根拠のない何かによってずっと「損なわれたぼく」を描いてきたからだ。だが、「損なわれた」具体的な理由は「一人っ子であったこと」以外見当たらないのだ。
「傷つく感じが素敵」とは薬師丸ひろ子の歌の一節だが、その「感じ」が中途半端に歴史に接近すると「誰かによって損なわれた歴史観」になる。韓国の批判や朝日新聞によって「傷つく感じ」が今の右派のメンタリティーなのだから。
とは言え、そろそろ村上は象徴や寓話でない歴史小説として、これまで神話的「受難」として扱ってきた題材を書いた方がいい年齢だ。だが、そういう「成熟」を決してしないことがこの作家なりの筋の通し方である。それに、本当の戦争では「殺した側」も、確かに損なわれる。それを自衛隊員が経験するのをひどく無頓着に強いようとしている「世論」を考えれば、村上の「寓意」は別のかたちでは相応に機能している。
※週刊ポスト2017年5月26日号