「それ以前に、宗門の調査で、過疎地のお寺を見て回ったことがあったんです。無住寺(住職のいない寺)の檀家さんに『宗門から住職を派遣できますよ』と進言すると、『住職の生活を支えるお金を出さないといけなくなるから、要らない』と。いわゆる家制度はやがて立ち行かなくなると、1980年代から痛感していたことがベースにあり、当寺では檀家制度と墓を切り離して『イエに縛られないお墓』を造り、経済的自立を図ろうと思ったんですね」
――具体的には?
「檀徒に寄付を頼まず、魅力的なお墓を造って、収益を基金にし、その利子で墓を維持管理し、寺の運営を補助する。『超宗派の会員制』とし、会計報告をする、などです。継承者がいない人も入り、寺が永代に供養する墓は、社会に絶対必要だと自信を持って予想しました」
その予想は的中。受付を開始するや否や注目を集めた。1期目の108区画が4年足らずで完売し、2期目を建てる…と堅実に進展させ、28年経った今、約800区画が既売だという。新潟県内の人が9割だが、1割は他県から。
北海道や関西の人もいる。購入理由のアンケートでは、「子供が娘だけ」「趣旨に賛同して」が24%で最多だが、「シングル」「夫、夫の家の墓と別を希望」「離婚」など「イエに縛られない」に通底する回答も多い。
小川住職は言う。
「長い目で見れば、個別の区画に入った皆さん全員がやがては永代供養墓に入り、縁ができるのです。ですから、安穏廟は単に墓地、墓石を提供するところではなく、人の縁を新たに結び、生きているうちから穏やかに暮らすことを考える場です。年4回の合同供養祭はもとより交流会やコンサートなどさまざまなイベントを境内で開催し、毎年300人以上の檀信徒が集まります」
言い換えれば、永代供養墓を「まんなか」に据えた生き方を緩やかに提唱しておられるのだ。龍善寺の平松住職が言った「上下関係などないお墓」という音葉とも重なる。
ところで、縷縷聞いてきて、あれっと思った。「檀家」って何だったんだろうと。小川住職は「檀家制度と墓を切り離した」と言ったし、「檀信徒」という言葉を使う。どういうことですか?
「1952年施行の宗教法人法には『信者』、伝統教団の公式文書には『檀徒』『信徒』と記され、とっくに檀家という言葉が消えています。よって、家を単位とする檀家制度は過去のもので、信仰は個人単位でなければならないんですよ。僧侶でも、その認識がない人が多いですが」
仰天した。「檀家」は法的に死語だったとは。目を白黒させたであろう私に、小川住職が順序立てて、お墓をからめて教示してくれた。