検察が不起訴とした背景には、筋弛緩剤が実際に死に繋がったのか否かを調べた、京都大学の鑑定書がある。「医療行為としては不適切」と指摘されたが、投与薬が多田さんの息を止めたかどうかまでは断定できなかった。
では、どのような思いで投与を決断したのか。「早く患者を穏やかな表情にしてあげたかったから」。山中は淡々と語る。だが、断末魔の多田さんにモルヒネの大量投入の後、抗けいれん剤を打った。そのまま自然にやって来るはずの死を待てば良かったのではないか。多田さんの死期を早める行動を選んだ理由をもう一度問うと、臨終間際の多田さんを囲む妻の叫びや、泣きじゃくる娘2人の存在が、彼を動揺させたのだと答えた。
「あんたもう十分頑張ったじゃないの。もう頑張らんでええんよ!」
多田さんの妻は、病床で夫の顔を見つめ、そう語りかけたという。その横で、娘たちは、父親の手を握りしめていた。「地域医療というのは、僕にとって家族医療」と話す山中は、この光景を見て、「彼個人の動揺」を和らげる必要性に駆られたのか。
多田さんは、地元土建会社で、ミキサー車の運転手をしていた。医師と患者の関係以前に同じ地域内の住人として交流を持っていた。
「彼は若い時、喧嘩っ早くてね。僕が当直の時、血を流している彼の顔の傷をよく縫ったりした。彼とはまさに20年来の友でした」
山中は、立ったまま両手を腰に当てて話を続けた。
「死は個人のものではない。家族のものです。一番その死に対して強い関係を持っている人たちは誰かと考えたとき、やっぱり家族です。家族の表情を、僕らは大事にします。その時に絶叫があった。これに動揺した。それで3人称の死から、2人称の死になりました」