この活動がきっかけとなりテレビキャスターに転身。政界へと進み、大物政治家に取り入りながら、政界を泳いでいくことになるのだが、こうした胆力は留学生時代にも垣間見えていた。再び小笠原が言う。
「私が卒論で何を書こうか迷っている、と口にしたのです。すると、『私はこんな本を持ってきています』と、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を貸してくれた。私はそれをアラビア語訳して論文にまとめ、卒業に至りました。卒業後に私が帰国する際には、わざわざ空港まで見送りに来てくれ、一輪の薔薇をくれた。しばらくどういう意味なのか考えてしまった(笑い)」
小池と同時期にカイロに留学していた稲生美喜子は、
「自宅に夕食に招いてくれたことがあって、コロッケを手作りしてくれたのを今も鮮明に覚えています。かなりの手間をかけて作っていました。『これ、チュニジアの鳥かごよ』と、有名な工芸品だというゴールドの鳥かごを見せてくれた。優雅に見えましたね」
と話す。権力者と市井の人々を同時に惹き付ける小池の魅力は、この時から大いに発揮されていた。
※週刊ポスト2017年6月16日号