渡辺氏が反論談話を発表するなど、批判の応酬に発展。1週間後には清武氏の解任が発表される。
永久に不滅と謳われた球団の足元が、この時から崩れ始めた──。
◆「育成の巨人」崩壊
清武氏は、1975年に読売新聞社に入社。本社社会部次長時代はスクープ記者として名を馳せ、運動部長を経て2004年に巨人球団代表に就任すると、球団改革に着手。NPBの育成選手制度(※1球団70名の支配下選手枠以外に、育成ドラフトによって選手を獲得できる制度)創設を推進し、2005年に実現すると、従来の大型補強路線とは全く違う「育成重視」のチーム強化策に舵を切った。野崎氏が続ける。
「清武さんと同じ時期に球団経営に携わっていた者としては、巨人が本気で育成に力を入れ始めたことで、もう他の5球団は歯が立たなくなるだろうと思いました。豊富な資金を使って有望な人材をヘッドハントし、若手の育成まで進められたら勝ち目がない。実際、原監督時代の2007~2009年には3連覇を達成しています」
育成選手第1号の山口鉄也は2007年に支配下登録され、翌年には中継ぎとして11勝を挙げてリーグ優勝に貢献。育成枠初の新人賞投手となった。2009年には最多HPのタイトルに輝き、年俸1億円の大台を突破した。2006年育成ドラフト3位の松本哲也は2009年にはレギュラーに定着。新人王、ゴールデングラブ賞に輝き、やはり「育成の巨人」を印象づけた。