《キレると人の迷惑だし、嫌われる…。頭のいい私達はそんなことは分かり切っています。そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした》
他にも、修学旅行先の京都でひと晩のアバンチュールを求め逆ナンした話などは赤裸々すぎて、豊田議員が読めば「ちぃがぁうぅだぁロォォォォ~」と絶叫しそうな内容がてんこ盛りだ。
しかし田中さん自身は信念があって、約8000文字にもわたって思い出話をしたためたようだ。
《豊田さんをよく知らない人から「極悪モンスター」みたいに言われるのは、とても耐えがたい思いがします》《豊田真由子さんは、頭脳明晰、細やかで、才色兼備な人であり、記録された時の暴言だけをもって「極悪人」と決めつけるのはやめてほしいと私は思います》として、《この文章を、豊田さんのお子さんが数十年後に読むかもしれないことと考えて、私の確かに経験して知っている事だけを、隠さず記録しておこうと思います》
こういった田中さんの意図を理解できない人の方が多かった。バッシングの矛先は豊田議員から田中さんへも向けられた。
「いくらなんでも暴露しすぎでは。ホントに親友なの?」
「豊田さんもこんなふうにかばってもらうくらいなら放っておいてほしいはず」「これは擁護のふりをした追撃では。やっぱり女の敵は女だわ…」
果たして親友・田中さんは豊田議員の味方なのか、敵なのか。本当の狙いは──。
「炎上するかも、なんてことは百も承知です」
田中さん本人を直撃すると、サラリとそう話す。“頭のいい”田中さんには、どんな反響があるかはまるっとお見通しだったようだ。
「官公庁やマスコミに勤めている人の中には、表現に気をつけた方がよかったと言ってくれる人もいます。でも、豊田さんの助けになればと思って、夜中に一気に書き上げました。暴露ではないです。彼女の本当の姿を知ってほしかったんです」(田中さん)
豊田議員とは「親友」と言うが、田中さんの心遣いに豊田議員から感謝の言葉はあったのか聞くと「ない」とキッパリ。
「大学を出てからは会ったことがなくて、年賀状のやりとりも今はしていないです」
つまり20年近く会っていないものの、親友の大ピンチとあらば健筆をふるったというわけだ。そこには大義もある。