だが、いざ足を踏み入れた現地の環境はあまりに劣悪だった。貧しさゆえに旧式の工場が多いため、大気汚染の深刻度は北京を上回る。道中の広大な小麦畑は地平線までスモッグの靄に覆われ、外を数分歩くだけで頭痛が襲う。
交通インフラも貧弱だ。ローカル電車は使い勝手が悪く、保定市内に戻るバスも午後5時になくなる。同じく新区地域に指定された、雄県や安新県に直通する交通手段すら存在しない。
タクシーの運転手は走行中に価格を釣り上げ、私が抗議すると畑の真ん中に置き去りにしようとした。空気も人気も、間違いなく中国で最低の水準に近い。
「外国人が宿泊可能なホテルはない。どうしても街に滞在したければ、身分証が不要のヤミ旅館に泊まれ」
これから中国有数の国際都市を目指す土地なのだが、ビジネスホテルの職員はそう言い放った。街には荷物を預ける施設すらなかったため、私は雨に打たれてスーツケースを引きずり、殺伐とした街を何kmも歩き続けるハメになった。
◆「貧乏ベルト」のまっただなか
「現地には何の産業もなく、小麦畑しかありません。国外の投資を呼び込むために重要な海からも遠い。新区設置が発表された際は、喜びよりも『なぜ?』という思いでしたね。うちの大学が移転しないことを祈るばかりですが……」