「戦争に勝ったほうには厚く施され、負けたほうには施されないどころかいじめられるのが常だ。現代になり『産業がないから助けてやろう』という官僚的な上から目線の考え方で、原発の建設地域が決められた側面もあるだろう。
明治以後の権力システムは、江戸時代までの地方分権とは異なり、官僚制が激しくなって中央集権を加速させた。戦争に勝って中央に座った者たちが、中央さえよければそれでいいという価値で今の社会を作った。
今の社会は、官軍/賊軍の意識が反映された果てのものであるのは確かだ。現在、日本の社会や経済は官僚制に端を発する様々な問題を抱えている。目の前の問題に対処する以外にも、我々はその起源となる明治維新を“反面教師”として批判的に捉える必要があるのではないか」
明治の藩閥政治においては、賊軍地域出身者は政官財のどの世界でも出世の道が閉ざされていた。とくに東北地方においては、白河の関より北は山ひとつ100文の価値しか持たないという意味の「白河以北一山百文」という言葉も生まれた。
岩手県出身で平民宰相と称された原敬は、そこから字を取り雅号を「一山」と名乗った。そこに込められた思いを本人から聞くことはできないが、賊軍とされてしまった側の意地のようなものが垣間見られる。現在、青森県には大間原発が建設中だ。
※SAPIO2017年9月号