お互いに連絡することもなく、月日が過ぎていきました。ところが約10年後の1999年、いきなり麗子さんから電話がかかってきたんです。「カヨさん、私、病気になっちゃった」って。以前発症していたギラン・バレー症候群(※注)が再発していたんです。
【※注/感染症などがきっかけで発症する末梢神経の疾患のこと。手足や顔面の筋力が低下し、激しい痛みを伴い歩行困難を引き起こす難治性疾患】
それは大晦日の夜でしたが、声が地獄の底から出てくるような、聞いたこともないような低い声で……。心配になって日が明けた元旦、彼女の家にタクシーを飛ばしました。
その後、同居を頼まれたんです。勝ち気だった麗子さんが、かなり憔悴していて、「一緒に住んでくれたら一番いい」と何度も言うのです。
同居生活では、私は料理がからきしなので、食事は麗子さん担当になりました。私が外出先から帰ってくると「お帰りなさい」といって麗子さんが手料理を出してくれる。じゃこを使った料理などを振る舞ってくれましたが、それがとても美味しくて。嬉しかったなぁ。
でもささいな生活習慣の違いから喧嘩になってしまって、5か月で同居は解消してしまいました。その後も連絡は頻繁に取っていましたが、麗子さんはみるみる衰えていきました。
そんな中でも女優としてのプライドを捨てなかった。亡くなる1年ほど前、「具合が悪くなったから夜中に救急車を呼んだ」って電話してきたんです。