〈2人の出会いは大原がデビューした翌年、1965年に遡る。当時19歳だった大原は可憐なルックスからは想像できない勝気な性格で、9人の男性マネージャーたちを散々振り回した。ついには台本を届けるスタッフもいなくなった。そこで所属事務所で唯一の女性マネージャーだった佐藤氏が担当となったという。以来、大原が事務所を移籍しても専属マネージャーとして行動を共にし、実の姉妹のように寄り添ってきた〉
女優としては初めから天性の才能を持っていました。音に敏感で、音声さんも気づかない雑音に気づいて指摘することもありました。
映画『尼寺(秘)物語』(1968年)では、中島貞夫監督に「裸になれ!」とずいぶん言われていました。裸を安売りする気はないから「簡単に脱いでたまるか!」と監督にタンカを切ったんですよ(笑い)。芯の強さを感じましたね。
◆「一緒に住んで」
〈女優とマネージャー以上の濃密な関係を続けてきた2人だが、一時期だけ、絆が途切れたことがある。大原が主演したNHK大河ドラマ『春日局』終了後の1990年、佐藤氏はマネージャーを辞した〉
そのころ麗子さんは舞台に夢中だったんです。でも彼女は日本舞踊など、舞台に必要な稽古を積んでいなかった。だから舞台から落ちて骨折したり靭帯を切ったり、体を壊しながら演じていました。
そんな麗子さんを見ていられなくて、私は舞台に出ることに大反対したんです。それでも彼女は「舞台には魔力がある」と譲らず、「なら、もういい」となってしまったんです。