──いま「アーティストをやめた人間」という言葉がありました。ミュージシャンへの未練はありませんか?
寺尾:はい、職業アーティストは諦めました。ただ、歌は歌います。先日もギターを買ったんです。早くライブをやってみたいなと思って。
というのも、社長業って、個人の感覚をどんどん捨てていく仕事なんです。しかし私の中には、歌という手段に限らず、「表現者」としての自分が確実に存在しているんですね。ここで冒頭の話に戻るんですが、本を書いたきっかけは実はもう一つあって、日頃は否定し続けている表現者としての部分を思い切りぶつけたかったからなんです。本の執筆には自分の思いを貫くことができて、本当に楽しかったですね。で、次は、ライブをやりたい(笑)。
──ご自身の好きを全否定する社長業と、好きを全開にする歌手や作家活動によって、良いバランスが保たれているのでしょうか。
寺尾:私の場合、どちらもやることで、振り切れるんです。仕事バカにならなければいけない時期はあるし、仕事バカになるのは楽しいのですが、同時に、離れる時間も大事だと思っています。考えてみてください。私は朝から晩まで、トースターならトースターのことをずっと考えているわけですが、その時点で、お客様の思考とかなりかけ離れてしまっていますよね。普通の人はトースターのことなど、ほとんど考えていませんから。そんな時にギターを持つと、その瞬間は、トースターのことはどうでもよくなる。いったん、冷静になれる。冷静と情熱って、どっちも大事なんですよね。
◆寺尾玄(てらお・げん)
1973年生まれ。17歳の時、高校を中退し、スペインをはじめとする地中海沿いを放浪する。帰国後、音楽活動を開始。2001年、バンド解散後、ものづくりの道を志す。工場に飛び込み、設計、製造について独学で習得。2003年、有限会社バルミューダデザイン設立(2011年4月、バルミューダ株式会社へ社名変更)。同社代表取締役社長。著書に『行こう、どこにもなかった方法で』(新潮社)がある。