◆西郷と龍馬が「大笑い」
ヒントはやはり先の手紙の中にある。龍馬は伏見奉行所に襲撃された後、その事件の裏に「薩長の間を往復している坂本は幕府のためにならない。是非とも殺すように」という幕府の指令があったと伝え聞いた。そこで、龍馬はこう書いた。
「この話を聞いた薩摩屋敷の小松帯刀や西郷吉之助なども皆、大笑いいたし、かえって私が幕府のあわて者に出会って、はからぬ幸いだ、と申しあったことです」
なぜ「はからぬ幸い」、つまり思わぬ幸運だというのだろうか? それはこの襲撃事件が、龍馬が目指した「薩長による倒幕」を決定づけたからに他ならない。当時の薩摩藩には幕府を助けて長州を討つべしと主張する保守派もいたため、この時点で西郷は地元を一枚岩にできていなかった。幕府と長州の両方から“求愛”されていた薩摩としては有利なほうにつきたい。
西郷と長州の桂小五郎が同席した1月21日が薩長同盟締結の日と思われているが、この時はまだ口約束を交わしたに過ぎず、西郷の独断で薩長同盟に署名することはできなかった。
そんな中、龍馬襲撃事件が1月23日に起こった。このとき、龍馬は命からがら伏見の薩摩藩邸に逃げ込んだ。すぐにこれを知った西郷は激高して自ら伏見に向かおうとしたが配下に止められ、龍馬を警護するよう指示したのだった。
龍馬を助けたことで、薩摩藩は幕府と敵対した形になった。西郷はこの事態に、薩長同盟で地元を説き伏せるしかないと腹をくくったはずである。この一連の出来事は京都で大騒動となり、「薩長はデキている」が「天下公然の秘密」となった。