アントニオ猪木の最期を看取った「付き人」とは誰か
2022年10月に亡くなった“燃える闘魂”アントニオ猪木(享年79)。今も名勝負が語り継がれ、多くの人の記憶に生き続けている。だが、その最期の2か月に彼と寝食をともにした人物がいたことは語られてこなかった。ノンフィクション作家の細田昌志氏がレポートする。【全3回の第1回】
「部屋から出してくれ……」
猪木の最期を看取ったのは、介護士の資格を持ちながら、会社経営者、物まねタレント「原辰」としても活動する江端裕巳氏(66)である。彼がなぜ猪木を看取ることになったのか。猪木とすごした2か月間とはいかなるものだったのか。江端氏にインタビューした。
──職業柄、江端さんの経歴が気になって仕方がないのですが(笑)。
「最初は芸能界にいたんです。子役から始まって、中学生の頃には本格的に役者の道に進みました。舞台、ドラマ、CM……。劇団の同期には遠藤憲一さんがいたし、三原じゅん子さんと共演したこともあります」
──第一線を走っていたんですね。
「ただ、30代に入って、当時付き合っていた女性が大の芸能界嫌いで、『私を取るか、芸能界を取るか』を迫られて彼女を取りました。それが妻です(苦笑)。まぁ、ほとぼりが冷めた頃にまた原辰徳さんの物まね芸人として活動し始めたのですが……」
──いい話(笑)。
「そこからはアパレルのデザイナーをやったり、介護士の資格を取ったり、ラウンドワンで東日本の統括、運営を任されたりもしたんだけど、その矢先にパチンコ企業にヘッドハンティングされました。その会社が猪木さんと関係があったんですよ」
──なるほど、そこでつながるんですね。
「猪木さんのCMを制作する会社を立ち上げることになり、私が社長を任されたんです。当時、猪木さんのマネージメントをしていたのが実兄の猪木快守さんでした。家族思いのとても優しい方で、末弟の啓介さんを紹介されたのもその頃。猪木家の人との付き合いが始まるんですが、猪木さんの最後の妻『ズッコさん』(田鶴子夫人)が現れて、外部との接触はシャットアウト。交流が途絶えてしまうんです」
──ああ……。
「ズッコさんが2019年に他界したあと、猪木さんも療養生活に入るんだけど、状況が掴めなかった。数年後、啓介さんのスマホに本人から電話がかかってきたんです。スピーカーになっていたので私も聞きました」