龍馬ははからずも自分の思惑通りに事が運び上機嫌。西郷は「もう起こってしまったことはしょうがない。このことを諸藩はみな知っている」と、地元を説得する材料ができた。だから皆で「大笑い」したのである。
西郷が龍馬を積極的に庇護したのは、大切な友人である龍馬を見殺しにすることはどうしてもできなかったからだと思う。そこに激情型でありながら「義」と「情」に厚い西郷の人柄が見て取れる。
そんな西郷が龍馬暗殺の黒幕だとする説があるのを御存じだろうか。「龍馬が、大政奉還後の新政府の長として徳川慶喜を据えようとしている」と考えた薩摩藩が、意にそぐわない動きをする龍馬を抹殺したというのだ。しかし私は、これほど固い絆で結ばれた二人にはあり得ない話だと考える。
歴史を見る行為には、その人の出身地や価値観が投影されやすいものだ。西郷や龍馬の生き方から、現代に必要なエッセンスを“主観的に”読み取り、自分の生き方に反映させていく。それこそが歴史を読み解く最大の面白さではなかろうか。
【PROFILE】宮川禎一●1959年大分県生まれ。京都大学大学院修了。1995年より京都国立博物館考古室員。2012年より同館学芸部企画室長、上席研究員。専攻は東アジアの考古学。坂本龍馬に詳しく『坂本龍馬からの手紙』(教育評論社刊)などの著書がある。
※SAPIO2017年10月号