「優勝したトーナメント戦の選手権で、稀勢の里が対戦した相手は、千代の国(前頭7)、大栄翔(前頭11)、正代(前頭5)、朝乃山(前頭16)、豪風(前頭10)の5人。いずれの取組も右上手を引き、右で抱えて一気に前に出る寄り切りでした。
すべて危なげない一番だったが、最大の武器である『左のおっつけ』が一度も見られなかったんです。“完全復活は遠いな”というのが正直な感想です」
3月場所で劇的な逆転優勝と引き換えに痛めた左上腕が、今も完治していないとする見方である。加えて、“大会の性質”からして、優勝を手放しで評価することに違和感を抱く関係者も少なくない。「全日本力士選手権」は1925年、明治神宮が創建された際に協会が始めた“奉祝イベント”だ。
「勝っても負けても番付には関係なく、賞金が出るといっても上位陣にとっては本場所の懸賞金のほうが大きい。若い力士に花を持たせることもあるし、早く負ければそのまま帰れるので、用事がある力士は早々に“転んで”引き上げていく。体に砂がつくと風呂に入らなければいけなくなるから、“投げ技禁止”が暗黙のルールだといわれています。決まり手は押し出しか寄り切りが大半です」(担当記者)
今回、稀勢の里が勝った5番の決まり手も、すべて寄り切りだった。
「いってみれば花相撲ですから、上位力士はケガをしないことを優先する。日馬富士、鶴竜は土俵には上がったものの揃って1回戦負け。白鵬は大会前の土俵入りだけで、トーナメントには参加しなかった」(同前)