今年8月には中国でスクーターを運転中、ながらスマホをしていた男性が不意に出現した道路の陥没に気づかず落下している。
ハワイでは10月25日から施行された条例で、歩きながら携帯電話やタブレット端末などの画面を見ることを禁止した。警官が見つけた場合、初回は15~35ドルの罰金を科し、1年以内に違反を繰り返すと2回目に35~75ドル、3回目は75~99ドルの罰金を科す。
日本でも運転中のながらスマホは道路交通法違反だが、歩きスマホを規制する法律はなく、今なお野放し状態だ。
悲しい事件が起こるたび情緒的に報道はされるが、その多くは一過性のものにとどまり、本当の問題は解決されていない。
精神科医の片田珠美さんは、一連の現象の根っこの部分に日本人の「無関心化」があると指摘する。
「みんなが自分のことに精いっぱいで他人に目をやる余裕がない。駅に困っている人がいても、“この電車に乗り遅れたら会社で上司に怒られる”と思って自分を優先します。誰もが自己防衛に必死で、他人に無関心になっているのです」
昭和の時代には、近所の子供が悪いことをすれば、他人の子供でも遠慮なく叱る頑固おやじがいたり、頼んでもいないのに、よその家の子供の縁談話を持ってくる世話焼きおばさんなど、“おせっかい”な人たちがいた。だが、今は他人の子を注意すれば、モンスターペアレントが大騒ぎしたり、おせっかいをすれば、あからさまに不快な態度をとられたりするようになった。
そうして、他者との距離はどんどん開いていき、日本は無関心社会へと変貌を遂げた。この冷たい社会を打開するためにはどうすべきか。片田さんはこう語る。
「ただ1つ、想像力を持つことです。白杖をついている人がホームから落ちそうになっているのを助けなかったら、電車にはねられるかもしれない。歩きスマホをしていたら、誰かにぶつかるかもしれない。
もしも自分が逆の立場になって困ったとしたら、相手にどうしてほしいか。そうした想像さえできれば、困っている人に対して、救いの手を差し伸べられるはずです。私たちの住む世界は、持ちつ持たれつの相互関係で成り立っています。誰かを助けるということは、自分も助けられるということなのです」
※女性セブン2017年11月9日号