たしかに、信玄から家督を継いだ勝頼の代で、甲斐武田氏は滅亡した。ただし、信玄の次男の系統の子孫として、武田家16代当主・邦信氏がいる。武田家は今回の“歴史教科書問題”をどのように考えているのか。
高齢の当主に代わり、武田家家臣の末裔らで組織される「武田家旧温会」会長の土屋誠司氏が語る。
「歴史の教育は大きな流れを掴むことが大切ですから、細かいところはあまり気にしません。たとえば長篠の戦い(1575年)などは、それまで槍や刀によるものだった合戦が、鉄砲中心になった転換点ですから、残す意味があると思います。一方で、川中島の戦いが載ってなくても、別に構わないのではないか。
信玄公の名前についてもそうです。教科書に載ろうが載るまいが、各地域には信玄公や武田氏を称える取り組みがあります。そうした行事などを通じて、若い人が関心を持ってくれればそれで良いと考えます」
武田勝頼が織田・徳川連合軍に敗れた長篠の戦いは残すべきで、信玄の名前の掲載にはこだらない──心なしか余裕が感じられるのは、家としての「武田氏」が掲載すべき用語に残っているからだろうか。
末裔たちの受け止め方は様々だ。