「撤退なんか俺がさせない」
こう言って自分自身を奮い立たせ、部下達を叱咤した西田は、営業に向かう部下らにこう言い続ける。
「情報を集めろ。その情報を重層的にするんだ」
いくら決断しても判断が間違っていれば結果は悲惨だ。そのことをよく知っていた西田はとにかく情報を集めさせては、その判断に深さを持たせようとした。
10年遅れのランナーは、こうした粉骨砕身の努力、智性と貫徹力で次々と前を行くライバル達を追い越していった。
そんな中で西田を激痛が襲う。胆嚢がコカ・コーラの瓶ほどに腫れ上がっていたのだ。手術は2度に及んだ。特に2回目は30分で終わるはずが、8時間以上もかかり、付き添った妻は西田の死を覚悟したほどだった。この時の傷が、後年、西田を胆管癌となって再び襲い、命を奪う。
「企業は成長、しかも持続的に成長しなければならない」
米原子力会社「ウエスチングハウス」買収の背景には西田のこうした考えがあった。GDPと同じパーセンテージしか成長できない今までの東芝では未来がない、この危機感が西田を買収に向かわせた。