東芝に身を捧げて来た西田はもういない。社長経験者には慣例のはずの社葬も西田には用意されない。帰るべき母港ともいえる東芝との関係を断ち切られた西田の戦死は、やはり痛ましさばかりが残る。
西田の戦死を思う時、その出自、手法は全く異なるもう1人のカリスマ経営者を思い出す。一代にして傘下およそ200社、年商5兆円を超えるセゾングループを築き上げた堤清二だ。
私は堤が亡くなる前年の2012年に最後となるロングインタビューを重ね、『堤清二 罪と業』という本にまとめた。
感性の経営とも言われたその手法は、すべて堤が発想したものだった。父・康次郎への反発、西武グループを率いた異母弟、義明との確執が堤を怪物に育てていった。
「僕は普通のことをやっただけだけど?」
こうあっさりと言う堤は最後まで理解されなかった。何のためにあれだけ事業を広げたのか。この質問への答えも印象的だった。
「終わりのない実験だったのかな……。そう、父にできたことは自分でも、って思ったりもしました。実験ですね、そう、実験……」
経営者一族に生まれ、小説家・辻井喬としての顔も持つ堤には、“企業戦士”だった西田が漂わせた悲壮感は最期まで感じなかった。
まったくタイプの異なる2人の経営者に共通点があるとすれば、ともに昭和という時代を背負った経営者だったということだろう。
そして西田の死は、昭和という時代の残滓を持った日本的な企業とサラリーマンモデルの終焉を象徴している。
※週刊ポスト2018年1月1・5日号