「年寄りは昔はよかったというものらしいが、それだけかなあ」
決まり文句、ありふれた嘆きと済ませてよいか。「いまの時代は」「本当は変なんじゃないか」──と小学校入学前に鉄砲を撃つのに不利と左利きを矯正され、二年生のときには国語の教科書に墨を塗らされた小さな「戦中派」は、七十余年後に思うのである。
語り下ろしが多かった著者が、二十五年ぶりに書き下ろした。長い船旅をして、船中ですることがなかったから、とあるけれど、より「感覚所与」の色濃い文体で書きたかったのではないかと推察する。
『遺言。』とは穏やかではない。読者の感覚を刺激する。しかし八十歳のご本人には「当面死ぬ予定はない」。ならば、「意味」に占有されて不自然さをことさら増す二〇一八年以降にも、何冊か『遺言。』は書かれるだろう。
※週刊ポスト2018年1月1・5日号