この交渉過程で、日本政府が個人補償について触れた際、韓国側が「個人補償は韓国政府が行なう」と主張したので、それも含めて5億ドルを供出した。ところが、韓国政府はその資金をインフラ整備などに使ってしまい、個人補償にほとんど回さなかった経緯がある。
◆宮澤首相が連発した謝罪から河野談話へ
後になって個人補償の問題が浮上してきたわけだが、本来は韓国国内の問題であって日本には関係ないことである。
ところが、1990年代に入り、朝日新聞による慰安婦問題キャンペーンが過熱すると、韓国では元慰安婦に対する補償を日本に求める動きが目立つようになった。東京基督教大学教授の西岡力氏が解説する。
「当時、対日貿易赤字問題を抱えていた盧泰愚政権が、慰安婦問題は対日カードに使えると考え、この問題を煽り立てた。日本政府はすでに解決済みだと突っぱねればよかったのに、1992年1月の日韓首脳会談で、時の宮澤喜一首相が謝罪の言葉を連発してしまった」
宮澤首相は会談で、「肝に銘じている」「衷心よりおわびし、反省したい」などの謝罪の言葉を繰り返し、翌1993年には、宮澤政権下で河野洋平官房長官が、慰安所設置や慰安婦募集への軍の関与を認め、おわびと反省を表明した「河野談話」を発表する。
談話の作成に関わった元官房副長官の石原信雄氏は、後に「韓国から金銭的な賠償の話は全くでなかった。元慰安婦が意に反して集められたか否かの『名誉の問題』との認識だった」と振り返っている。つまり当時、韓国政府は謝罪を要求するだけで、個人賠償には触れていなかったというのだ。