ファンに愛され続けるトップアイドル、柏原芳恵。彼女が、その半生を語った──。デビューのきっかけは1979年、中学2年生の彼女のもとにオーディション番組『スター誕生!!』(日本テレビ系)の予選会を知らせるハガキが届いたことだった。
「小学6年生の時に友達と一緒に応募していたのですが、すっかり忘れていて。両親も“どうせ受からないだろうけど記念に受けてみたら?”と言うくらいで、気楽に臨みました」
決戦大会まで勝ち抜いてスカウトされると、毎週末大阪から東京に通い、レッスンに明け暮れた。そして1980年春、デビュー曲『No.1』を渡される。
「阿久悠先生の手書きの歌詞をいただきました。毎日、何十回もノートに書いて覚えました。移動中の車でスラスラ言えないと、事務所の社長に怒られるんですよ。スポ根アニメのように鍛えられましたね(笑い)」
全国をキャンペーンで回ると、日テレのワイドショーで毎日のように取り上げてくれた。だが、松田聖子や河合奈保子、田原俊彦などアイドル新時代の幕開けを飾るライバルたちの壁は厚く、音楽祭の新人賞からは軒並み漏れてしまう。
「私より周りのほうが心配してくれたと思う。2年目までにヒット曲を出さないとダメ、という空気を感じていました」
そんな時、『ハロー・グッバイ』という曲に巡り合う。1981年12月3日『ザ・ベストテン』(TBS系)に初めてランクイン。売り上げ38万枚を記録し飛躍の曲となった。