作家・佐藤愛子氏のベストセラー『九十歳。何がめでたい』は、「卒寿、おめでとうございます」という声に「有り難うございます」と答えながら、内心は「ナニがめでてえ!」と思っているという胸の内を明かし、大きな共感を呼んだ。だが世の中では、ますます誕生日祝いを強制する風潮が進んでいる。フェイスブックやLINEなどを開くと登録している人の誕生日が通知され、社交辞令のメッセージの交換が大量に行なわれる。居心地の悪さを感じる人も少なくない。
そもそも日本で誕生日を祝うという習慣はいつから始まったのか。
古来、日本での年齢の数え方は「数え年」で、毎年正月を迎えるたび、誰もが1歳ずつ歳が増える方式だったので、本当の誕生日が何月何日かはあまり意識されていなかった。七五三は子供の成長を祝う行事だが、これも数え年で3歳、5歳、7歳のときに行ない、誕生日は関係ない。
昔は七五三のあと、元服(10代)が終わると、還暦(61歳)まで、年齢に絡んだお祝いはなかった。
◆祝わない自由、祝われない権利
評論家の呉智英氏はこう言う。
「偉い人の生誕を祝う行事はあったが、一般庶民は数え年なので、そもそも日本には誕生日を祝う習慣はなかった。学齢や医療の面での都合から満年齢が採用されるようになった明治以降の風習のはず。
私の場合、50年以上、誕生祝いなんてやってない。長寿のお祝いは別にして、いい大人が誕生日を祝うというのは情けない感じがする。社会に出たら、歳を重ねたことより、どういう仕事をしているかで評価されたいよね」