実際に、レースクイーンやレース会場のコンパニオン役の女性は、日本国内でもこの数年で激減した。もちろん、不況からくる人員削減という面もあったが、様々な団体から「要請」が日々突きつけられ、レースを放送するテレビ局、広告代理店にも同様の「意見」が寄せられ、そのほとんどは「性を売り物にするな」という指摘だったという。だが、その指摘は一体、誰のためなのか。女性の権利のためだというなら、その女性がみずから勝ち取った仕事を奪おうとする「意見」には矛盾がある。
執拗に目につくものに向かって「性差別だ」と言い続けたら、それこそ個々人の権利や主張がぶつかり合い、生きにくい世界が形成されるのではないか。別の現役レースクイーン・Mさん(20代)も、世の中の流れに危機感を持っている。
「こういった世論を受けて、レースクイーンが登用される機会が少なくなっていたのは事実です。最初は衣装が過激だと言われ、そのうち”勝負の場にそぐわない”と言われたかと思うと、今度は仕事自体が”蔑視”だと。私たちを否定する人たちは、私たちに何か恨みでもあるのでしょうか? レースクイーンだった私達は、今後どうすれば良いのか? それは誰も教えてくれません」
差別だと批判する人がいるから、と忖度し続け、このような行き過ぎた表現規制の先には何があるのか。さらなる「女性達の危機」が待っているのかもしれないと、声を震わせる。
「反対派の皆さんの言う通りにしていけば、グラビアアイドルもダメ、モデルもダメ、芸能人だってダメ……と言うことになりかねません。男女の差別を無くそうなどと言っておきながら、やっていることは女性の自由な生き方を制限しているようなもの」
レース関係者に話を聞いても「世界的なことだから」「この流れには逆らえない」と言葉少なめだ。もちろん、レースクイーン否定派の主張には一理も二理もあるかもしれない。だからと言って、これまでレースクイーンであることに喜びを感じ、誇りを持って生きてきた人々を前にして「女性蔑視」と言い切ってしまうようでは、反対派がいう「権利」や「差別」は薄っぺらで、ポジショントークめいたものにしか見えないのだ。