これまでみたように、李鵬一族の凋落は習氏の最高指導者就任と強く結びついている。中国問題に詳しいジャーナリスト、相馬勝氏は次のように指摘する。
「習氏の父、習仲勲氏は党政治局員として、1987年1月、民主化運動への対応が甘かったとして解任された改革派の胡耀邦党総書記を擁護したが、保守派の李鵬氏らとの権力闘争に敗れ、引退を余儀なくされ、広東省深セン市で亡くなるまで隠遁生活を送っている。
1989年4月、当時首相だった李鵬氏は胡氏の死去をきっかけとして起こった学生らの民主化要求運動を弾圧、李氏は軍の導入を決め、戒厳令を敷いて、天安門事件で学生らを無残にも殺害するなどした。これに、習仲勲氏は強く反対していたが、一介の引退幹部だった習仲勲氏はいかんともしがたかった。
これらの経緯を見ると、父の無念を晴らしたのが習近平氏であり、今回の李小鵬氏ら李鵬一族の没落は習氏が裏で糸を引いているのは明らかだろう」