北九州市発足の年にここに嫁いできたユカリさんが語る。「昭和13年におばあちゃん(義祖母)が荷車を引きながらこの商売を始めたんだそうです。私が結婚した当時はもう、このあたりでは少しは知られた角打ちの店で、義母が仕切り、夫以外に3人の従業員を抱える規模になっていました。平成になって主人を亡くし、義母と二人三脚に。誰も彼も常連になってもらいたい一心で、お客さんの顔と名前をそりゃあもう必死に覚えましたよ」。
健気な女神の努力の甲斐があって、やがてマスコミの取材を受けたり、小倉の街巡りツアー的なイベントのコースに組み込まれたりといった機会にも恵まれるようになった。
「名店になったのかなあ。確かにお客さんは増えてるけど、でもみんなすぐ平尾酒店色に染まっちゃうね。気楽に入れる敷居の低さは、昔とまったく変わらないですよ」(50代、公務員)
「この1月に角打ちという言葉が最新版の広辞苑に初めて載ったと報道されたときは、しばらくそれが酒の肴になっていました。北九州に古くから根づいている文化がはっきりとした形で認められたようで、うれしかったんでしょうね。でもなんでこんなにたくさんの皆さんに来てもらえるのかしら。免許を取って、8年ほど前から食べ物も出せるようにはしましたが、だからといってレストランではないですからね。北九州によくある簡単なつまみとお酒を出す、古いだけの店なのにねえ。確かにおばあちゃんはここにいますよ。でも、女神って誰のことかしら?(笑い)」と、ユカリさん。
「我々がそういう思いでいるんだからそれでいいでしょ。ところで、そんな女神の前でいただくお神酒は、焼酎ハイボールということになるのかな。甘くないこの辛口がいいのですよ。お目当てというか名物というか、特別な材料は使っていないのに出色のつまみと評判の(オニオンスライスとツナ&魚肉ソーセージの)サラダを作ってもらって、今日はこれを力いっぱい飲みます」(40代、通信業)
「ここで飲む幸せに慣れてのんびりとしてましたけど、北九州の角打ちは、数が多いと言えど、ここにきて経営者の高齢化で閉める店が増えていると聞きましたよ。ここはずっと開いてると信じてますよ」(常連客一同)
「ありがとうございます。はい、私の命のある限り、店は続けていきますからね」(ユカリさん)