集めた号外は近現代を象徴する出来事をたどることができるものが多い。特に珍しいのが、太平洋戦争中、日の目を見なかった“幻の号外”だ。
「戦争で用紙不足が一段と厳しくなり、新聞用紙配給の実権を握っていた日本新聞会が個々の新聞社の号外自由発行を禁じたため、号外は昭和16年暮れから空白期間に入ります。
昭和19年には夕刊も廃止され、政府が要請か承認した時のみ東京の5社の“共同号外”が当番社によって発行されることになった。“幻の号外”は、1日に2回出すなと政府が途中でストップをかけたもの。現存するのは唯一私の手元にあるものだけという超レア資料です」
羽島氏の調査によると、1日当たりの発行紙数が史上最高を記録したのは昭和64年1月7日。「昭和天皇崩御」号外で115紙を確認しているという。
号外を「第一級の生資料」と位置づける羽島氏。収集した号外を含む新聞資料約10万点は現在、横浜市のニュースパークにある。
「テレビやインターネットが発達した現代において、号外は速報機能で後れをとっているかもしれません。しかし、手に取って歴史的瞬間やニュースの重みを感じることができるのは、号外だけなのです」
●羽島知之(はじま・ともゆき)/1935年、東京生まれ。1960年、東洋大学卒業。三栄広告社の取締役を経て日本新聞博物館特別専門委員、東洋大学理事などを歴任。東洋文化新聞研究所代表。編著書に『号外』シリーズ全12巻(大空社)など。
※週刊ポスト2018年6月15日号