彼を変えたのは、南方の島に埋まる戦没者の遺骨収集の旅。ニューギニア北西部にあるビアク島に眠る日本兵の遺骨と、遺族の女性の嗚咽。このとき、人の苦しみや悲しみに寄り添う覚悟ができたという。
まず、形骸化した葬式仏教に異を唱えた。「坊主丸儲け」体質を改善するため、お布施など寺の経済を全面公開。透明性を高めた。そうした彼の主張が大手新聞の記事になると、賛否両論となった。一般読者からはおおむね賛同だったが、同業者からは批判が多かった。
「そりゃオマエの寺みたいに、肉山ならなんでもできる。オレの寺は檀家数が少ない骨山。寺じゃ食っていけないから、他所に勤めてその給料を寺につぎ込んでいるんだ」
この手の批判が多く届いた。
おもしろいのは、坊さん仲間では、裕福な寺のことを「肉山(にくさん)」と呼び、財力の乏しい寺のことを「骨山(こっさん)」と呼んでいるらしいこと。骨肉の争いならぬ、骨肉のやっかみである。しかし、彼にはそんな批判も想定内だった。寺の収支をオープンにしながら、檀信徒の寄付に頼らず、寺としての本当の役割とは何かを問い続けた。
そんなジンさんの活動に、ぼくはいつも驚かされてきた。そして、今年、彼の決断を聞いて、またまた驚かされてしまった。5月の連休明けに、神宮寺の住職をすっぱり辞めたのだ。10年前から彼は、世襲はしないと宣言。若い後継者を育ててきた。いくつも立ち上げて軌道に乗せたNPOも、きれいさっぱり人に譲り渡した。