◆菅の威光
この間、国会で野党の追及の矢面に立ってきた矢野は1985年4月、一橋大経済学部を卒業して大蔵省入りした。1996年の主税局調査課長補佐就任を皮切りに、もっぱら主税畑を歩んできたエリート財務官僚だ。同期入省組には、ともに東大法学部卒業で国税庁次長の藤井健志や大臣官房総括審議官の可部哲生がいて、省内では1985年入省3羽ガラスと呼ばれてきた。
半面、東大法学部出身で、大学時代や公務員試験の成績がトップクラスでないと事務次官レースには乗れない財務省にあって、一橋大出身の矢野は3番手と目されてきた。次官レースでは、自民党政調会長の岸田文雄の妹と結婚した可部が半馬身リードし、主計局と主税局の両方の要職をこなしてきた藤井と競り合ってきたとされる。主計にあらずんば人にあらず、といわれてきた財務省で、主税畑の矢野は、2人の後塵を拝してきた。
だが、安倍政権下で、そんな次官レースの様相が一変した。その要因が内閣人事局を牛耳る官房長官の菅の威光だという。財務省主計畑の中堅幹部が、次のように解説してくれた。
「3番手の矢野さんを引き上げたのが、官房長官秘書官として仕えた菅さんなのは間違いありません。矢野さんは、第二次安倍政権の発足以降、首相の政務秘書官である今井尚哉さんなどにも真っ向から意見を言ってきた。官邸内では、菅さんと今井さんのさや当てがあり、菅さんは矢野さんを頼もしく感じたのではないでしょうか。大臣官房審議官としても昨年の森友国会を乗り切った。その論功行賞で、官房長に抜擢されたのだと思います」