矢野は主税畑が長く、財務省内で保守本流とされる主計畑でもない。そのため大臣官房審議官のあとは、国税庁次長ポストに就くと目され、同期の藤井の官房長就任が有力視されていたが、それが逆の人事となる。矢野はそこから、可部や藤井を抜いて1985年入省組事務次官レースのトップに躍り出た。
そうして、森友問題やセクハラ事件の矢面に立った。順当にいけば、次の次の事務次官候補でもあった。が、念を押すまでもなくいまやその評判はがた落ちだ。完全に次官レースから脱落したと言わざるを得ない。
※週刊ポスト2018年7月6日号