「はたして、今そのことを改めて言及する必要があるのか悩みました。しかし、このことをスルーしたら、読者に対して誠実な本とはいえない。書くならば、しっかり分析して、誰よりも詳しいと言えるレベルまで調べ上げなければならない。当時のワイドショーも入手した上で、詳細に状況を解析しました」
1994年2月17日、田原俊彦は長女誕生記者会見において「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビックになっちゃうと、そうはいきませんというのがよくわかりました、ハイ」と発言。ネットなどの定説では、これをキッカケにマスコミのバッシングが始まったとされてきた。
「そもそも、田原俊彦は会見時に『ビッグ』ではなく、『ビック』と発言している。文脈からして『ビッグ』という意味で使ったと思われるため、メディアは単に表記を直しただけだとは思います。しかし、“本当は『ビック』と言っていた”ということまで把握した上で、原稿を書くかどうかは重要だと考えています。
そして何より、会見翌日の朝刊スポーツ紙6紙、翌週発売の女性週刊誌3誌を調べると、『ビッグ』をタイトルに持ってきたものは1つもない。本文中で触れているのも、日刊スポーツと報知新聞、週刊女性の3つだけです。
今では『田原俊彦はビッグ発言でバッシングされた』とたった1行でまとめられ、それが定説になっていますが、当初『ビッグ発言』は全く話題になっていなかった。
これは、1次資料に当たらない限り、絶対に見えてこない事実です。そして、ネットでいくら探したところで資料は見つかりません。丹念に、1994年2月当時のスポーツ紙や雑誌を読まない限り、わかりません。だから、ネットに頼るリサーチ方法には限界がある。国会図書館や大宅文庫に足を運ぶ必要があるのです」