「囮艦隊の陽動が成功し、ハルゼーの空母部隊は囮艦隊の背後に日本の有力艦隊がいると誤認し、全軍で追いかけていた。わが艦隊は10月25日の昼にはレイテ湾まで1時間半の距離に近づいたのです。
ところが、ここで『大和』は反転し、レイテ湾に背を向けて北上しはじめたんですね。これは海軍の歴史でも“最大の謎”とされている事件です。私は艦橋に行き、上官に『なぜ北進を続けているのですか?』と問い糾したんですが、『若い者は黙っておれ!』と追い出された。
私はこの作戦に勝機は十分あると考えていました。「大和」の主砲は60cm厚の防御鋼板で覆われ、船体には浮力をつけるバルジも設置されていた。だから、レイテ湾内で座礁させても、他の艦と違って傾いたりしないんです。傾くと主砲を撃てなくなりますが、『大和』なら撃てた。
座礁させれば米艦載機から猛爆を受け、我々は吹っ飛ばされ生きていないけど、『大和』の主砲は防御鋼板で守られ、艦載機に積める程度の爆弾では破れない。『大和』には世界一の主砲があったからこそ、この作戦には勝機があった。
海岸にうろうろしていた6万~7万人の上陸部隊に撃ち込んで、運搬船も沈めてしまえば、上陸軍は孤立し、補給を絶たれ、白旗を揚げて終わりですよ。これだけの数の捕虜カードをもって停戦協定に臨めば、有利な停戦に持ち込める。私はそこまで考えていた。『大和』にはそれを実現する力があったのに、試さずに逃げ帰ったのが今でも悔しいんですよ。私は上官に楯突いたことへの懲罰人事で、レイテからの帰国後、『大和』を降ろされました」(深井氏)