カズレーザーが色紙に書いた「さだまさしで一言」
最近の「ひとりカラオケ」でのお気に入りは、『二軍選手』です。あの曲、本当にめちゃめちゃ好きなんです。行きつけのカラオケ店に入っておらず、なかなか歌えないのが残念なんですが(笑)。
さださんのアルバムで、最初に購入したのは 『夢の轍』でした。この中の『償い』(作詩・作曲さだまさし)をじっくり聴いた時に、「こんな歌を歌う人がいるんだ!」と衝撃を受けました。この歌の中に、こんなフレーズがあります。〈人間って哀しいね だってみんなやさしい〉
これなんだ、と思いました。さださんの魅力って。圧倒的な人類愛を伝えようとしている。それは歌手さだまさしであっても、小説家さだまさしであってもそうです。さださんの作品のすべてに「やさしさ」が通底している。
たとえば、星新一さんだったら「驚き」がメインテーマです。彼のショート・ショートは、たくさんの驚きで溢れています。同じような意味で、さださんのテーマは「やさしさ」なのです。『前夜(桃花鳥)』や 『遙かなるクリスマス』もそうです。
ここでは「人間個人の幸せ」が語られているんですが、実はそれを広げていっても、人類全体の幸せには決して繋がらない、という現実や矛盾を描いている。これ、さださんのメッセージだと思うんです。
個人の幸せ=人類全体の幸せ、ということじゃないのなら、個人と全体を切り離してしまって、個人の幸せだけを考えればいい、ということじゃない。ふたつを断ち切るんじゃなくて、「人間愛」を接点として、個人と人類全体を繋げようとしている。
「個人の幸せ」がぶつかり合うこともあります。たとえば 『甲子園』(作詩・作曲さだまさし)。この歌は、喫茶店のテレビで夏の甲子園の準決勝を見ている、という設定なんですが、テレビの実況が突然、「ホームラン!」と叫びます。
普通に考えれば、ホームランはプラスのイメージです。しかも喫茶店で何気なく見ているんだから、「おっ、やったね」となる。ところがさださんは、このプラスのイメージを反転させるんです。〈また誰かの夢がこわれる音がする〉
ホームランを打たれたピッチャーの側から、ホームランを表現する凄さ。個人の幸せが、一方で別の個人を不幸せにしているというリアル。この切り口はさださんだなあ。『二軍選手』でもそうですが、さださんは一貫して、敗者にやさしい眼差しを向ける。これがさださんの「やさしさ」「人間愛」です。