さだまさし一覧

【さだまさし】に関するニュースを集めたページです。

黒柳徹子と20年交際秘話
黒柳徹子、さだまさしと突然“共演NG”の謎 さだの鋭いジョークが原因か
「最後の共演から5年半以上が経っていて、今後も共演の予定がないと聞いています。あれだけ蜜月だった黒柳さんとの間に何があったのか? トラブルさえ疑われています」(テレビ局関係者) テレビ放送の草創期から現在まで表舞台に立ち続ける黒柳徹子(88才)に、最近、いわゆる“共演NG”の相手が増えているという。自ら「NG認定されている」と暴露したのが、有吉弘行(48才)だ。5月15日放送の『有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?』(テレビ東京系)で、過去に黒柳に「クソババァ」とあだ名をつけて以来、共演NGにされていると明かしたのだ。 さらに、フワちゃん(28才)も2020年に『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演した際、会話がまったく噛み合わず、黒柳から「もう来なくていい」と宣告され、その後、テレビ番組を含めメディアで同席したことは一切ない。 しかし、冒頭のテレビ局関係者が口にしたのは彼らのことではない。その相手もまた、芸能活動歴の長い大御所だ。「さだまさしさん(70才)です。黒柳さんとは2017年、永六輔さん(享年83)の一周忌イベントで顔を合わせたのを最後に、一緒にお仕事をしていません。テレビでの共演は前年の2016年が最後です。それまでさださんは『徹子の部屋』の常連だったのに、急に出演がなくなってしまいました」(前出・テレビ局関係者) さだはこれまで『徹子の部屋』に14回も出演し、黒柳の“盟友”として知られてきた。本来、同番組は黒柳がMCを務めるトーク番組だが、さだがMCを担当して黒柳をゲストに迎える『まさしの部屋』なる特別企画が放送されたことがある。それも一度きりではなく3度も。 また、2006年と2015年には、『徹子の部屋コンサート』が開催されたのだが、黒柳が司会を務め、さだは主要メンバーとしてステージに立った。2011年には東日本大震災の被災者を支援するイベントでも共演している。 共通の友人も多い。永さんはその代表格だ。2016年11月、さだは永さんが作詞した曲をカバーしたアルバム『永縁~さだまさし 永六輔を歌う~』を発売した。このときも黒柳は朗読で参加した。それほどの蜜月ゆえ、突然、共演がなくなったことに違和感を覚える関係者は少なくない。前出のテレビ局関係者が声を潜める。「テレビでの最後の共演は2016年12月5日に放送された『徹子の部屋』。さださんが出演し、3回目となる『まさしの部屋』が放送されたのですが、この内容に問題があった可能性があります。さださんが黒柳さんに、永さんや作曲家の中村八大さん(享年61)との“男女の仲”について質問したのです。気心の知れたさださんだから聞けたことで、黒柳さんも笑っていました。 これまでも、さださんの鋭い“ジョーク”がウリの『まさしの部屋』でしたから、いつも通りの光景に見えました。ただこのときは何かが違っていたようです」 ちょうどその年に、黒柳はブレーンとしてある男性を迎え入れていた。「ビーズの貴公子」こと、田川啓二さん(63才)だ。「オートクチュールを手がけるビーズデザイナーです。父も兄もデザイナーという芸術一家に生まれ育ち、2002年に『徹子の部屋』に出演しています。その共演をきっかけに、田川さんは黒柳さんの衣装を手がけるようになり、全国の老舗百貨店で一緒に作品展を開催するほどの深い関係になりました」(芸能関係者) そして2016年4月、田川さんは突如、黒柳の事務所の代表取締役に就任。さだとの最後の共演の8か月前のことだ。以降、田川さんは黒柳の仕事現場への同行から出演交渉、キャスティングにもかかわるようになったという。「田川さんが黒柳さんの事務所の代表になって以降、黒柳さんはインスタグラムを始めたり、若い読者層を持つファッション雑誌に出るようになりましたが、それも田川さんのアイディアだったようです。彼は番組収録にも付き添い、黒柳さんの専属プロデューサーとして抜群のセンスを発揮していったのです。 だからこそ、さださんの“発言”が引っかかったのかもしれません。さださんは最後の『まさしの部屋』で、先の質問以外に“黒柳徹子保存会”を立ち上げて、自分がその初代会長だと口にしたんです。田川さんも撮影現場で聞いていたはず。これが“共演NG”のきっかけだったのでは?と分析する人もいるようなんです」(前出・芸能関係者) 田川さんは2018年8月、黒柳の事務所の代表を信頼する友人に任せ、代わりに自身は「一般財団法人黒柳徹子記念財団」を設立し、その代表理事に就任した。黒柳は着物、食器、工芸品など多くの美術的価値のあるコレクションを持つ。それらを後世に残すために財団を設立し、「黒柳徹子美術館」を建設する意向を田川さんは当初から示していたという。 美術館の建設となれば、それなりの建設費が必要になる。黒柳は財団の設立前年、東京・港区に所有していたマンション2戸を売却。2004年にも中央区のマンション1戸を手放しており、3戸の売買価格は約6億円ともいわれている。「おそらく田川さんが社長に就任した当初から、不動産の売却や財団の設立などの計画を描いていたのでしょう。さださんが話した“黒柳徹子保存会”は、その計画外のもので、田川さんにとっては寝耳に水だったはず。“保存会”は実態があるのか定かではなく、冗談半分のようにも思えますが、田川さんはじめ黒柳さんの周囲の人たちにとっては冗談には聞こえなかったのかもしれません」(前出・芸能関係者) 財団設立と美術館は黒柳と田川さんにとっては悲願のようで、苦労しながら大事に育てている計画のようだ。実際、今年5月5日に配信された黒柳のYouTubeチャンネルで、田川さんは美術館計画について黒柳とファンにこう報告した。「ちょっと前進しました。“いつぐらいまでにはできるんじゃないか”というところまでは来ている。でもまだ皆さんにはお伝えできない」 2002年の共演から今年で20年を数える黒柳と田川さんの関係は、ますます強固になっているように見える。「美術館など黒柳さんの功績を残していく動きとともに“生前整理”が進んでいるように見えます。そんな中、黒柳さん本人というより周囲のかたの意向もあって共演者も選ぶようになっているのかもしれません。ただ、黒柳さんとさださんとのかけ合いは2人のあうんの呼吸で成り立っていました。今後見られないのはあまりに惜しいですね」(前出・芸能関係者) 共演NGは黒柳の晩節を汚さないための苦肉の策なのか、それとも……。※女性セブン2022年7月7・14日号
2022.06.25 07:00
女性セブン
ゴダイゴはいかにして日本の歌謡界を席巻したのか(1999年の再結成時。時事通信フォト)
日本の歌謡界を席巻した「昭和54年のゴダイゴ旋風」
 昭和の人気音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)の再放送が、6月20日からCS・TBSチャンネル2で始まる。1回目は昭和55年12月25日放送分と発表された。この年、田原俊彦や松田聖子が台頭。アイドル黄金時代の幕開けとなった。その前年はニューミュージック全盛期であり、昭和50年結成のゴダイゴが突如大ブレイクを果たした。『ザ・ベストテン』(TBS系)に詳しいライターの岡野誠氏が“昭和54年のゴダイゴ”を振り返る。 * * *〈これがうまくいかなかったら解散しようと思ってました〉(平成17年12月8日・スポーツ報知) ゴダイゴは昭和51年のデビューシングルから英語詞にこだわっていたが、売上は低迷。1枚目の『僕のサラダガール』はオリコン37位になったが、それ以降は100位以内に入れなかった。昭和53年、ドラマ『西遊記』(日本テレビ系)の主題歌の依頼が舞い込む。冒頭の決意を滲ませていたタケカワユキヒデは、『ガンダーラ』でヒットを狙いに行った。〈曲は雄大な砂漠をイメージしました。最初はサビの部分をマイナー(短調)に、残りはメジャー(長調)にしたが、プロデューサーから「全部マイナーに」と言われた。2、3回書き直したかな。「ああ、歌謡曲になっちゃう」とも思ったけれど、抵抗はしなかった。英語と日本語の歌詞を作ったけど、「シングルは日本語で歌うよ」って受け入れた〉(平成25年5月15日付・朝日新聞) アメリカのバークリー音楽大学出身のミッキー吉野は編曲する時、細部にこだわった。〈ヒットソングのデータ/黄金律を全部集約させて「ガンダーラ」に注ぎ込みました。テンポや間奏の長さもアルバムとシングルは少し変えました。歌が始まる直前のスネアの叩き方まで指示するわけだから少し異常でしょ〉(平成27年10月発行『ミッキー吉野の人生(たび)の友だち』・シンコーミュージック) ミッキー吉野は発売時期やプロモーションも綿密に練り、曲が売れているうちに新譜を出した。昭和53年10月1日に『ガンダーラ』を発売した後、同年のクリスマスに『モンキー・マジック』をリリース。この作戦が的中して『ザ・ベストテン』で2月15日から4月5日まで8週連続で2曲同時ランクインし、“ゴダイゴ旋風”が巻き起こった。 その後も、4月1日『ビューティフル・ネーム』、6月1日『はるかな旅へ』、7月1日『銀河鉄道999』、10月1日『ホーリー&ブライト』と立て続けにシングルを切った。いずれも、まだ同番組で他の曲がランクインしている時に“二の矢”を放ったのだ。 アルバム『OUR DECADE』からのシングルカットである『はるかな旅へ』は圏外だったが、それ以外の3曲はいずれもベストテンに入り、『銀河鉄道999』は7週連続1位に輝いた。『ザ・ベストテン』の昭和54年のランクイン回数を算出してみると、“ゴダイゴの歌謡界席巻”が明確になる(1週2曲入れば、2カウント)。●昭和54年の『ザ・ベストテン』ランクイン回数と主な曲【1位】52回 ゴダイゴ 『ガンダーラ』『モンキー・マジック』他【2位タイ】42回 山口百恵 『いい日旅立ち』『美・サイレント』他【2位タイ】42回 西城秀樹 『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』『勇気があれば』他【4位】35回 サザンオールスターズ 『いとしのエリー』『C調言葉に御用心』他【5位】33回 ツイスト 『燃えろいい女』『性(サガ)』他【6位】26回 さだまさし 『関白宣言』『天までとどけ』他【7位】24回 ピンク・レディー 『カメレオン・アーミー『ジパング』他【8位】21回 沢田研二 『カサブランカ・ダンディ』『OH!ギャル』【9位】20回 アリス 『チャンピオン』『夢去りし街角』他【10位】19回 郷ひろみ 『マイレディー』『いつも心に太陽を』他 2位の山口百恵、西城秀樹を10回も引き離し、ゴダイゴが1位を獲得。51週で52回もランクインしている。『ザ・ベストテン』はレコード売上、ハガキリクエスト、ラジオチャート、有線放送を集計し、順位を決定する。1部門だけでなく、4部門で上位に残らなければランクインできない。ハードルの高い“総合チャート”を制した価値は高い。『ザ・ベストテン』は昭和53年11月16日に初めて視聴率30%を超え、翌年は51週中28週も30%台を記録する。世の必然として、大衆性を帯びると反発する層も出てくる。この頃、ランキングされても出演しない歌手が話題になった。しかし、ゴダイゴはその立場を取らなかった。〈当時はフォーク系の人たちがテレビに絶対出ないっていうのがあったから、逆をいかなければいけない、ボクらは出てやろうって、1本でも多く出てやろうって思いました〉(前掲『ミッキー吉野の人生(たび)の友だち』)『ガンダーラ』のレコードジャケットでは、メンバーがドラマ『西遊記』のキャラクターに扮し、テレビでも同じ格好で歌うなどメディア戦略を徹底し、大ヒットに結び付けた。 昭和54年のゴダイゴ旋風は、芸能史の中でも特筆すべきものがある。『ザ・ベストテン』12年分の年間ランクイン回数を算出し、順位を出してみよう(『』内は、該当年の主な曲)。●『ザ・ベストテン』年間ランクイン回数と主な曲【1位】53回 近藤真彦(昭和57年) 『ハイティーン・ブギ』『ふられてBANZAI』他【2位】52回 ゴダイゴ(昭和54年) 『ガンダーラ』『モンキー・マジック』他【3位】49回 沢田研二(昭和53年) 『ダーリング』『サムライ』他 ランキング発表週数は年によって若干異なるため、年間のランクイン確率(回数÷週数)を計算すると、こんな結果になる(小数点2位以下、同率の場合は3位以下を四捨五入)。●『ザ・ベストテン』年間ランクイン確率(回数÷週数)と主な曲【1位】101.96% ゴダイゴ 51週中52回(昭和54年) 『ガンダーラ』『モンキー・マジック』他【2位】101.92% 近藤真彦 52週中53回(昭和57年) 『ハイティーン・ブギ』『ふられてBANZAI』他【3位】100% Wink 39週中39回(平成元年) 『愛が止まらない』『淋しい熱帯魚』他【4位】98% 沢田研二 50週中49回(昭和53年) 『ダーリング』『サムライ』他【5位】94.1% 近藤真彦 51週中48回(昭和56年) 『ギンギラギンにさりげなく』『スニーカーぶる~す』他【6位】94% ピンク・レディー 50週中47回(昭和53年) 『UFO』『サウスポー』他【7位】90.4% チェッカーズ 52週中47回(昭和59年) 『涙のリクエスト』『星屑のステージ』他【8位タイ】90% 西城秀樹 50週中45回(昭和53年) 『ブルースカイブルー』『ブーツをぬいで朝食を』他【8位タイ】90% 山口百恵 50週中45回(昭和53年) 『プレイバックPart2』『絶体絶命』他【10位】88.5% 松田聖子 52週中46回(昭和58年) 『瞳はダイアモンド』『秘密の花園』他 番組は平成元年9月に終了したため、この年のランキング発表は39週。そのため、39回ランクインしたWinkが3位に登場する。100%を超えたのは、昭和54年のゴダイゴと昭和57年の近藤真彦の2組しかいない。今年5月、ゴダイゴのギタリスト・浅野孝已さんが亡くなったばかりだが、偉大な記録は、何年経っても輝き続けるだろう。■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』(青弓社)では『ザ・ベストテン』の章も設け、巻末資料で公式本にもない年別ランキングデータを収録。6月7日、元CHA-CHA木野正人と配信イベント〈『ザ・ベストテン』と昭和ポップスの世界〉を開催(10日までアーカイブ配信。詳細はロフトプラスワンWESTのホームページにて)。
2020.06.06 16:00
NEWSポストセブン
阿波おどり改革はどうなる?(時事通信フォト)
徳島市長選、阿波おどりと利権巡る2派の代理戦争的様相に
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」で知られる阿波おどり。徳島市長選挙(4月5日投開票)の裏側で、その阿波おどりを巡る“因縁”が渦巻いている。 3月下旬夕刻、市内中心部を流れる新町川のかちどき橋に、ピンク色のジャンパーや幟でそろえた一団がいた。ハンドスピーカーを手に政策を訴えていたのは、市長選挙に立候補を表明した新人の内藤佐和子氏(35才)。東大卒の会社役員で、在学中に多発性硬化症という難病にかかった経験をまとめた著書『難病東大生』(サンマーク出版)がある。 その内藤氏を“全面支援”するのが、阿波おどりの踊り子らでつくる阿波おどり振興協会だ(以下、振興協会)。「協会員に一斉メールがきて、振興協会として内藤さんを支持することになったと言うんですわ。かちどき橋での街頭活動に参加するように求めるメールも来た。どんなもんやろと行ってみると、振興協会の関係者がたくさんでした」 そう話すのは、振興協会に所属する有名連のメンバーだ。なぜ踊り子らの団体が市長選に熱心にかかわるのか。 ことの発端は、4年前に現在の遠藤彰良市長(64才)が就任した頃に遡る。四国放送の人気アナだった遠藤氏は市長選に当選すると、「阿波おどり改革」に乗り出した。 それまで阿波おどりは、市の観光協会などの主催だった。年間120万人もの集客がある巨大イベントなのに、毎年のように赤字。累積で4億3600万円まで借金が膨れ上がっていた。「原因は観光協会などの放漫な運営です。市の調査で不適正な会計処理や、桟敷席や照明などの工事の発注で複数から見積もりを取らずに業者を決めていたことなどが明らかになった」(地元記者) その赤字は徳島市が税金から補償しなくてはならず、市民の立場から放置できないと判断した遠藤市長は、観光協会を破産させ、運営を民間に委託するという大ナタを振るった。それに強く反発したのが振興協会だった。「振興協会の山田実理事長らは、遠藤市長のやり方がいかに横暴かをマスコミに訴え、全国的なニュースになった。対立が決定的になったのは、2年前、市長が委員長だった実行委員会が振興協会に所属する有名連のフィナーレの群舞『総おどり』の中止を決めたことです」(前出・記者) 総おどりというネーミングから、すべての踊り子の群舞を想像するが、そうではない。実行委員会はあくまで振興協会独自の総おどりをやめ、4か所の有料演舞場に振り分けてフィナーレを踊る演出方法を取ることにした。振興協会に所属する有名連の連長が振り返る。「それを無視する形で振興協会は総おどりを強行しました。実際、総おどりは、さだまさしさんの小説を映画化した『眉山』(2007年公開)の撮影でやったところ、“おもしろい”となってやっているだけで、阿波おどりの伝統にもとづいたものではない。それを、阿波おどりの歴史に疎いテレビのワイドショーが大騒ぎして、改革した遠藤市長を“悪者”にしてしまった。総おどりは、あくまで演出の一部に過ぎないのですが…」 なお、踊り子の団体は振興協会だけではない。20弱の有名連が所属する「徳島県阿波踊り協会」や、8つほどが所属する「徳島県阿波おどり保存協会」などがある。14の有名連でつくる振興協会は多数派でもないのだ。 そんな遠藤市長を市議会で厳しく追及してきたのが、振興協会の顧問で、市議会の有力者である岡孝治議員だ。総おどり中止騒動後の2018年9月、「市政の後退と混乱を招いた」として市長に対する不信任決議案を岡議員らが提出した(賛成少数で否決)。「市長選で遠藤市長の対立候補になった内藤さんは、記者会見で無所属での出馬を強調していました。ただ、振興協会や岡議員の周辺が強力にバックアップしているとされます。公約では阿波おどりについて、『市長が実行委員長に就任し、責任をもって関係団体と調整を図りながら、阿波おどりにかかわるすべての人々が楽しめる阿波おどりにしていきます』としています。つまり、民間委託して実行委員長を降りた遠藤市長の路線を否定し、振興協会などの意向を汲み取る方向性だと読み取れます」(前出・記者) 阿波おどりの大きな連はメンバーが数百人もいて、家族も含めれば数千票も動かすことができるとされる。「徳島では阿波おどりは特別な存在で、観光業も大きく依存しています。活性化することは、徳島の経済全体にもかかわります。ただ、一部の団体が利益を得て、市民の血税が流れる状態に回帰していいのか、冷静に考える必要があります」(前出・記者) 有権者はどう判断を下すのだろうか。※女性セブン2020年4月9日号
2020.03.26 16:00
女性セブン
2008年の紅白初出場歌手たち(共同通信社)
NHK紅白「魔の2分30秒ルール」を打ち破った歌手は?
 NHK紅白歌合戦の主役は歌だが、雑多なジャンルから様々な歌手やグループが出場する番組のため、全体を整えるための様々な工夫があった。2019年大晦日で放送70回の節目を迎えるなかで生み出された意外なウラ話を、最新刊『紅白歌合戦ウラ話』が話題の合田道人(ごうだみちと)氏に聞いた。■セクシーすぎて「吐息」が「ラッパ」に変更させられた曲がある? 青江三奈『伊勢佐木町ブルース』前奏の“あは~ん”の溜息が色っぽすぎるため、本番は水前寺清子らが代わりにラッパを“ぷ~ぷ~”と鳴らした(第19回)。「2回目に歌唱した時は“あは~ん”が許されて、司会の黒柳徹子が“ため息紅白初出場です”と盛り上げました(第33回)」(合田氏)■初めて「メドレー」を披露したのはあの“スーダラ男”? 中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりが“ハイハイ3人娘”として出場し、ワンコーラスずつ歌唱。対する白組の植木等はクレイジー・キャッツとして『どうしてこんなにもてるんだろう』『ホンダラ行進曲』の2曲を披露し、この対戦がメドレーの走りとなる(第14回)■1ステージで最も長い時間演奏した歌手は? 長渕剛。ドイツ統一の1990年に紅白初の海外中継が行なわれ、ベルリンから出演。ギターのチューニング30秒は無言。スタッフを非難したかと思えば、史上最長となる3曲16分の独演会を行ない、傍若無人ぶりが物議を醸した(第41回)■魔の「2分30秒ルール」を打ち破った歌手は?「かつて紅白では歌の持ち時間が2分30秒と決められていて、2分半でレコードを作る時代があったんです。ところが第30回に初出場したさだまさしは4分以上かけて『関白宣言』のフルコーラスを披露。歌詞が尊重された結果でしたが、“さだまさしのせいで1組出場枠が減った”なんて囁かれました」(合田氏)■初出場が嬉しくて勢いで「結婚発表」をしてしまった歌手がいる? 渥美二郎が初出場の嬉しさで「来春に結婚します!」と宣言し、「紅白の会見で結婚の発表をした人は初めてです」と司会の山川静夫を驚かせた(第30回)※週刊ポスト2019年12月20・27日号
2019.12.13 07:00
週刊ポスト
立川談春『たちきり』と響き合うさだまさしのアンサーソング
立川談春『たちきり』と響き合うさだまさしのアンサーソング
 音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、立川談春が独演会に取り込んだ落語と歌の「アンサーソング」という趣向により、異例のカーテンコールが行われた感動の一夜についてお届けする。 * * * 立川談春と立川志の輔の落語にさだまさしがアンサーソングを披露した武道館公演について以前書いたが、この「アンサーソング」という趣向を談春が自らの独演会に持ち込んだ。8月27日から9月1日まで渋谷のシアターコクーンで行なわれた「三十五周年記念公演 玉響」だ。 談春の落語に対して音楽ゲストがアンサーソングを披露する六夜連続のイベントで、第一夜はゴスペラーズ、第二夜は尾崎世界観、第三夜・第四夜はaiko、第五夜は斉藤和義、第六夜はさだまさしが出演。僕は第一夜と第六夜に行った。ロビーでは公演パンフレット代わりの文庫本『玉響 -たまゆら-』(210頁/1000円)が会場限定で販売されており、各ゲストとの対談やエッセイ、歌詞などが載っている。 第一夜、談春は『子は鎹(かすがい)』を演じた。師匠談志の演出を受け継いだもので、カラッとした亀吉が魅力的だ。母が常日頃から「嘘をつくとお父っつぁんの代わりに玄翁でぶつよ」と言っている、という設定は談春オリジナル。父からもらった小遣いで買った青鉛筆で描いた「青空」(=父の思い出)の絵を家に置き忘れて鰻屋に行ったのは、母に届けさせようという亀吉の作戦だろう。 鰻屋で再会した元夫婦の二人は、明らかに今も惚れ合っているのに、相手の立場を斟酌し過ぎて再び離れそうになる。そんな両親を亀吉が「ちゃんと言えよ!」と一喝し、それぞれの本当の気持ちを相手にぶつけさせる。「別れた男女が再びやり直すドラマ」として濃厚に描いた談春の『子は鎹』に対するアンサーソングは、あなたの温もりをもう二度と離さないと歌う『冬物語』だ。 第六夜には悲恋物語の『たちきり』を演じた。談春は若旦那が蔵住まいを始めて五十日目に両親と番頭が会話をする場面を創作、ここで番頭は「手紙が百日続いたら夫婦にさせてあげたい」と両親に訴える。 百日後、芸者置屋に来た若旦那に女将が小糸の死を告げる。女将の実の娘だと強調する演出は珍しい。「優しい子でした。若旦那と出会えて幸せだったと思います。誰も悪くありません。若旦那と小糸は悪縁だったんです。この家を一歩出たら小糸のことはきれいに忘れて生きてください。小糸には私がいます」 談春ならではの台詞だ。 さだまさしのアンサーソングは、すれ違ってしまった相手を今なお想う『かささぎ』。『たちきり』の余韻と響き合って切なく胸に迫る。三本締めの後、異例のカーテンコールも。三十五周年記念公演の千秋楽に相応しい、感動の一夜だった。●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。※週刊ポスト2019年10月18・25日号
2019.10.15 16:00
週刊ポスト
裁判官が犯行少年に向けてさだまさしの『償い』を口にした理由
裁判官が犯行少年に向けてさだまさしの『償い』を口にした理由
 裁判官が判決を言い渡した後、被告人に対して行いを改めるよう諭す言葉が「説諭」で、正確には「訓戒」という。日々、さまざまな事件が起きているが、裁判官の説諭を聞くことを目的として傍聴に行く人もいるという。 最近では、麻薬取締法違反の罪で有罪判決を受けたピエール瀧(52才)の判決公判で、東京地裁の小野裕信裁判官が5分にもわたる説諭をしたことが話題となった。裁判の現場でいったい、どのような話が繰り広げられているのだろうか。2つの実例から、印象に残る裁判官の発言を紹介しよう。【事件データ1】・東京地裁 山室惠裁判長(2002年2月19日)……東京・三軒茶屋駅で男性に対して殴る蹴るの暴行を加え、頭部打撲により相手を死亡させ、傷害致死容疑で起訴された18才の少年2人に対しての発言。『唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を聞いたことがあるだろうか。この唄のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう』 さだまさしの『償い』は、やさしくまじめな“ゆうちゃん”が、ある日突然、交通事故の加害者となり、自分の犯した罪を償うために被害者の妻に毎月、働いたお金を送るという歌詞。実話が基になっている。司法ジャーナリストの長嶺超輝さんが語る。「人ひとりの命を奪ってしまったことに対し、加害者の少年たちは『申し訳なく思います』『反省しています』『深くお詫びします』などの謝罪の言葉を述べたものの、態度は淡々としており、事の重大さを正面から受け止めているとは言い難いものでした。そのため、裁判長は『償い』を口にしたのだと思います」 裁判官が具体的な曲名を挙げる説諭は異例で、新聞やテレビでも大きく取り上げられた。「判決の翌日、東京拘置所にいる加害者の1人の少年の元に叔母から、歌詞を書き写した手紙が届いたそうです。その後、少年たちは控訴することなく、実刑判決が確定しました」(長嶺さん・以下同) この説諭が少年たちの心の奥まで届いたに違いない。【事件データ2】・東京地裁 小野裕信裁判官(2018年5月24日)……警視庁「竹の塚署」の巡査長が、時速50kmの制限速度を大幅に上回る時速100km以上で走行。中国籍の男性をはねた事件の判決の際の発言。『退職金とかどうなっているんですか?』 これはピエール瀧被告(当時)の裁判も担当した小野裁判官の言葉。裁判ウオッチャーで芸人の阿曽山大噴火は語る。「被告人は現役警察官で、一般道で141kmを超えたスピードで走って、人をはねて死亡させている。過失致死なのですが、警察官なので前科はなく、判決は執行猶予4年の懲役2年6か月でした。しかも、死亡事故を起こしているのに、停職1か月の処分。これにはさすがに小野裁判官も《自主退職なんですよね? 退職金とかどうなっているんですか?》と聞いていました」(阿曽山) 死刑判決にありがちな“主文後回し”で語った言葉だ。■イラスト/竹本佐治(イラスト内の人物はイメージです)※女性セブン2019年9月12日号
2019.09.06 07:00
マネーポストWEB
小林幸子を「どん底」から救ってくれた北島三郎の言葉
小林幸子を「どん底」から救ってくれた北島三郎の言葉
 事務所の「お家騒動」によってマスコミから大バッシングされ、一時はテレビ出演どころか新曲も出せない窮地に陥った小林幸子(65)。そんな「どん底」から復活した小林の胸に響いたのは、サブちゃんこと北島三郎の言葉だった。小林幸子の短期集通連載の第4回は、苦境を脱して初めて気付いたことについて、総括する。 * * * 振り返ってみると、人生、本当にいい時ばかりじゃありませんよね。でも、辛いことのほうが多かったかと聞かれれば、絶対にそうではありません。 もちろん、泣きたいこともありました。でもそんな中にも、楽しいことは必ずあるものなんです。逆に言えば、周りから幸せそうに見えていたって、当の本人には辛いことだってある。皆さんもそうじゃないでしょうか。 10年近く前の事務所トラブルの時も、「辛くなかった」と言えば、正直、嘘になります。スタッフの退社をめぐり、一時、マスコミから激しいバッシングを受けるなど、ちょっとした騒動になりました。 マスコミの風当たりは強く、所属していたレコード会社からの新曲リリースも保留となりました。「CDを出せない」というのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなものですから、その時は絶望のどん底。にっちもさっちもいかなくなりました。 それでも、さだ兄(さだまさし)に新曲を作ってもらったり、インディーズレーベルを立ち上げたりと、何とかこの窮地を脱することができました。◆人生の寄り道や道草は決して無駄じゃない 2011年の出場を最後に、紅白からも遠ざかっていたのですが、2015年に『千本桜』で特別出演を果たします。4年振りのことでした。 その時、オヤジさんから(北島三郎さんのことをこう呼ばせてもらっているのですが)こう言われたんです。「なあ、幸子。いろんなことがあったけど、この3年間は道草してたと思え。道草ってなあ、楽しいぞ」 本当にそうだよなァ。オヤジさんの言葉は、胸に染みました。『おもいで酒』が200万枚を超えるヒットになって以降、私は舗装された高速道路を無自覚に走ってきました。そしてここから見える風景だけがすべてだと思っていました。 でも、突然、高速道路から降りることを余儀なくされてしまい、私は未舗装のデコボコ道を進まざるを得なくなりました。ハンドルを握るのも大変。寄り道に回り道、時間もかかります。 ところが、ふと冷静になって周囲の風景を眺めてみると、これが素敵なんです。えっ、こんな美しい場所があったの? と、この年になって知った。 高速道路を降りなければ気づかなかったことです。たしかにお膳立てされた高速道路は走りやすいし、時間もかからないけれど、目に入る景色はいつも一緒。安定しているけれど、驚きはありません。 下の道は、デコボコだけれど、驚きの連続でした。そして何より、「自分で切り拓いていく」という面白さがありました。しかも、この寄り道のおかげで、私はたくさんの人に出会えたし、たくさんの経験ができた。オヤジさんはわかっていた。人生の寄り道や道草が、決して無駄じゃないことを。「ひとつ、いつもと違う角を曲がればそれはもう旅の始まり」。これは尊敬する永六輔さんの言葉。ようやく、この言葉の意味を実感しています。 高速道路を走っていれば、角はありません。高速を降りたことで、私は初めて角を見つけた。角を自由に曲がる面白さを発見した。で、曲がってみる。寄り道です。でもここから新しい旅が始まる。これってワクワクしません?※小林幸子・著『ラスボスの伝言~小林幸子の「幸」を招く20のルール』より抜粋
2019.06.29 16:00
NEWSポストセブン
三遊亭白馬がトリを務めた寄席の魅力を語る
8000人の観客を集めた平成最後の武道館落語公演とその内容
 音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より平成最後の武道館落語公演についてお届けする。 * * * 2月25日、日本武道館で「らくごカフェ10周年記念 平成最後の武道館落語公演」と題する落語会が開かれた。出演はさだまさし、立川志の輔、立川談春、春風亭一之輔他。さだはらくごカフェ店主・青木伸広さんの高校落研の先輩で、志の輔と談春も青木さんが高校生の頃からの付き合い。彼らが出演してくれるというので「神保町に一番近い大きな会場」として武道館を押さえた、という冗談のような経緯がある。僕はさだまさしファンでもあるのでワクワクしながら武道館に足を運んだ。 8000人の観客を集めて午後4時開演。さだまさしが前説で登場し、青木さんが加わってのトークの後、「らくごカフェに火曜会」(二ツ目による定例二人会)の新旧レギュラーが交代で紙芝居や寄席の踊り、「本人の前でさだまさしを歌う」等の余興を披露した後、火曜会OBを代表して一之輔が高座を務めた。 一之輔は22年前の春風亭小朝による武道館公演を観ており、そのネタをマクラに振ってから、突き抜けたバカバカしさで爆笑させる『堀の内』へ。冒頭でオチを言っておいて「オチを間違えた」というオチにする素敵な展開だ。後半に「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ」と連呼するネタであるが故の、武道館リスペクトのセレクトかと思ったが、一之輔に訊くと談春のリクエストだとか。 三本締めで第一部が終了、第二部は50分間の「さだまさしオンステージ」で、軽快なトークで大いに沸かせてから歌に入る得意のパターンで『案山子』『雨やどり』『秋桜』『償い』『関白失脚』の5曲を披露。『関白失脚』の「♪頑張れ」の合唱で一階席・二階席の多くをさだファンが占めていることがわかった。 第三部は談春と志の輔の落語に対してさだがアンサーソングを披露する、という趣向。まずは談春が笑いを交えた独特な演出で久蔵の純愛を描く『紺屋高尾』。青木さんのリクエストだというこの人情噺は、落語初体験のさだファンの胸に沁みただろう。大きな拍手に包まれて談春が高座を下りるとギターを抱えたさだが登場、披露したのは「私が生まれたのはあなたを愛するため」と歌う『いのちの理由』。絶妙な選曲だ。 志の輔は『新・八五郎出世』。祝いの会で志の輔がよく演じるネタではあるが、殿様に嫁いだ妹の許へ兄が訪ねるこの噺が始まった途端「そうか!」とガッテン。アンサーソングは嫁いでいく妹の物語を兄の視点で描いた名曲『親父の一番長い日』だ。感動に場内が包まれる。 予定より1時間押して午後9時終演。拍手が鳴りやまない。平成最後の武道館落語公演、大成功だった。●ひろせ・かずお/1960年生まれ。東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。『現代落語の基礎知識』『噺家のはなし』『噺は生きている』など著書多数。※週刊ポスト2019年4月5日号
2019.03.30 16:00
週刊ポスト
諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師
愛情ホルモンを過剰に増幅させる「さだまさし的生き方」とは
「愛情ホルモン」などと呼ばれるオキシトシン。シンガーソングライターで小説家でもある、さだまさし氏のことを“オキシトシン過剰症候群”と「診断」したのは、諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師だ。一体どんな症状なのだろうか。 * * * さだまさしは“オキシトシン過剰症候群”だ。人に親しみを感じ、人を信頼することに関係するオキシトシンは、「愛情ホルモン」「絆ホルモン」などと呼ばれ、注目されている。 彼には、全国各地にゴルフ仲間や飲み友だちがいる。コンサートなどで訪ねると、その夜は遅くまでワイワイ盛り上がる。お酒も好きだが、人が好きなのだ。 初対面でもすぐに親しくなる。人が困っていると聞けば、何かをしてあげたくなって、いてもたってもいられなくなる。これらの症状は、リッパな“オキシトシン過剰症候群”によるものだ。 と、そんな内容のことを、先月発売された『うらさだ』(さだまさしとゆかいな仲間たち・小学館)という本に書いた。笑福亭鶴瓶や立川談春、泉谷しげる、小林幸子……といった人たちがさだまさしをまな板に載せて、好き勝手言っている面白い本だ。 もちろん、“オキシトシン過剰症候群”なんて病名はない。ぼくの創作だ。でも、オキシトシン的振る舞いの多いさだまさしは、年々その症状が目立つから“進行性の病気”といっても過言ではないだろう。そして、ついにはオキシトシンを増幅する仕掛けまでを作ってしまった。公益財団法人「風に立つライオン基金」という仕掛けである。 3年前に設立されたライオン基金は、大規模災害の被災者への支援活動や、高校生ボランティアなど若い世代の「ささやかで偉大な」活動を応援する活動に取り組んできた。 ぼくも、評議員の一人。2年前の台風による水害を受けた南富良野、昨年の九州北部豪雨で被害を受けた朝倉市などを、彼と一緒に何度も訪ねた。今年は、7月の西日本豪雨で被害を受けた総社市を訪ねたが、そこで高校生たちのすばらしい活動に出会った。「私たち高校生に何かできることはありませんか?」 避難指示が発令された7月7日、総社市の片岡聡一市長に宛て、高校1年の女の子がメールを送った。「市役所へ手伝いに来てください」 片岡市長の返信を受けて、多くの高校生が続々と集まってきた。情報はSNSで拡散され、4日間で1700人以上の高校生が、泥のかき出しや家具の搬出、支援物資の仕分けと受け渡し、避難所の食事配布や清掃などを行なった。 総社市は、死者4人、全壊78棟、大規模半壊168棟、半壊351棟という大きな被害を出した。さらに追い打ちをかけるように、アルミ工場で浸水による爆発事故も発生。自然災害だけじゃなく、人災も加わってしまったと憤っていた住民たちは、高校生たちの懸命に体を動かす姿を目の当たりにし、前を向いて生きようという気になったという。 もちろん、高校生たちも大人たちに感謝されることで、自信がついた。もっと何かできないかと考え、避難所で暮らす小中学生の勉強をみたり、遊び相手になったりし始めたのだ。 これに感動したライオン基金は、「みんなのライオンカフェ」として、学用品を寄付するなど、高校生たちの活動を支援することにした。一日2時間週3日。小中学生たちも高校生のお兄さん、お姉さんたちと交流しながら、次第に日常を取りもどしていくことになった。 ちなみに、「ライオンカフェ」というのは、西日本豪雨が発生する前に、ぼくが提案したものだ。被災地に、地元の人やボランティアがほっと一息つけるカフェがあると、気持ちの通い合った支援ができる、と考えたからだ。総社市の高校生による「ライオンカフェ」はその第一号となった。●かまた・みのる/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。近著に、『人間の値打ち』『忖度バカ』。a※週刊ポスト2018年11月9日号
2018.11.02 07:00
週刊ポスト
さだまさし、眼鏡の意味とあちこちの被災地で歌い続ける理由
さだまさし、眼鏡の意味とあちこちの被災地で歌い続ける理由
 主に月末の土曜深夜に放送される生放送のトーク番組『今夜も生でさだまさし』(NHK総合)。9月の最終土曜日、本番前にスタッフと談笑するさだにカメラを向けると、「あっ、ちょっと待って! 今、“さだまさし”になってくるから」と、すぐさま、おなじみの眼鏡をかけて再登場。 芸能人がオフに眼鏡で変装することはよくあるが、彼にとってはこの眼鏡が、“さだまさし”への変身グッズというわけだ。デビュー45周年を迎えた大ベテランだが、当の本人は褒められるといまだに恥ずかしいと語る。「本音を言うと、ぼくは情けなくてダメなやつなんだよ。自分にしかわからないさもしさやダメさ加減があって、そこを乗り越えたくて、歯を食いしばってカッコつけて、“さだまさし”として普段の自分では言えないことを歌っているの。だから褒めてもらうと恥ずかしいし、申し訳ない。みんながイメージしてくれる“さだまさし”にならなきゃいけないなって、思いますよね」 先ほどまでスタッフとふざけ合っていた姿とは打って変わって、照れくさそうな笑顔を見せるさだが手に取ったのは、親交の深い面々がさだについて語り尽くした書籍『うらさだ』(小学館)。世代を超えて愛されるさだらしく、幅広い著名人がさだを“解説”している。 旅番組でも共演した笑福亭鶴瓶(66)は、「まっさんのすごいところは、感動を届けようとする」と、さだの歌と人柄を称えている。「最近は、さだまさしを面白いと言ってくれる若いミュージシャンも増えた。でも、まだまだぼくの“音楽”は無名。この本をきっかけに、ちゃんと音楽を聴いてもらえたらいいな」 ぼくの音楽は無名──“さだ節”でそう嘆くが、『精霊流し』や『関白宣言』などヒット曲はあまりに多い。「さだまさしをここまで育ててくださったのはお客様ですから。みなさんがつらい時に歌で応援するためにヒット曲を作って有名にしてもらったと思うので、そのお礼のつもりであちこちの被災地で歌わせてもらっています。 実際には泥かきをしてくれる手がありがたいだろうけど、“もうちょっと頑張らなきゃ”という時の応援歌として役に立ちたい」 この日も、日中に陸前高田(岩手)で東日本大震災の慰霊の奉納演奏を行った後だった。「お盆から、休みの日はほぼ被災地へ行っていて体も神経もへばりつつある。でも、笑顔や歓声をもらうと力が湧くし、純粋に行きたい、行かなきゃって思います。さすがに今日の移動中は読書しながら寝落ちしちゃったけどね(笑い)」『生さだ』の放送が終わったのは午前2時。タフな笑顔で、さだはスタジオの外にも大勢集まったファンへ向かって力いっぱい手を振った。◇『うらさだ』(さだまさしとゆかいな仲間たち/著、小学館)寺岡呼人を案内人とし、笑福亭鶴瓶や立川談春、泉谷しげるなど、さだの生き方や考え方に共感した仲間たちがその魅力を大いに語る。※女性セブン2018年10月25日号
2018.10.16 07:00
女性セブン
高見沢俊彦が語る「鉄人」さだまさしの素顔とMCマイクの謎
高見沢俊彦が語る「鉄人」さだまさしの素顔とMCマイクの謎
 さだまさし(66)に次いで、国内2位のコンサート回数を誇るのがTHE ALFEE。デビューも近く、同じ時代を駆け抜けた両者だが、音楽性やファン層は大きく異なる。中でも対照的な存在が、派手なルックスで激しくギターを奏でる高見沢俊彦(64)だろう。ところが、高見沢はさだを「兄貴」と慕い、自分との共通点を多数列挙する。さだの素顔に迫る短期集中連載の第6回は、アルフィー高見沢がさだの意外な一面を明かす。 * * * さださんとは、1970年代にジョイントコンサートで一緒になったりしていましたが、テレビ局ですれ違えば挨拶する程度の間柄でした。 もう10年以上前のことだと思いますけど、明石家さんまさんの『さんまのまんま』にゲストで呼ばれた時に、さださんと一緒だったんです。さださん、なぜかお土産にスダチを持ってきた。 僕らもいただいたんですけど、僕だけスダチの皮を剥いて、食べてしまった。「こいつ小さいミカンだと思ってるんですよ」ってメンバーからツッコまれましたが……。で、スダチとさださんが混じってしまって、さださんに向かって、「スダさん!」。 なぜかさださんには、この「スダさん!」がツボだったらしく、それから個人的に仲良くなりました。忘れられないのは、『FNS歌謡祭』での出来事。この年は、僕らアルフィーやさださんだけでなく、松坂慶子さんも出演されていました。実は松坂慶子さんが若かりし頃からの大ファンで、内心喜んでいたんですが、収録が終わった後、なぜかさださんが松坂さんと親しげに談笑している。 話が終わった後に、頃合いを見計らってさださんに近づきました。「え、さださん、松坂慶子さん、知ってんの!?」「おお、知り合いだよ。お前、好きなのか?」「子どもの頃から、もうずっと好き!!」「じゃあ松坂さんと一緒に飯でも食うか」「ほんとー!?」と夢のような話。 とはいえお互いにスケジュールもタイトですし、「今度飲みに行こう」という言葉は、この業界では社交辞令で終わることが多い。この時も、「そうは言っても無理だろうな」と思っていました。ところがさださん、思いがけず約束を守ってくれた(笑)。「兄貴」と言ったらいいかな。見た目や詩の世界からは想像つかないかもしれませんが、実際の「人間・さだまさし」は、非常に男気がある、頼りがいのある兄貴。「よしっ、兄ちゃんに任せとけ!」という人なんですね。 普段の行動もああ見えて豪快。たとえばコンサートで全国を回っていると、ホテルに泊まることが多くなります。さださんの泊まってる部屋、どうなってると思います? 到着5分でグチャグチャ。もう何年も住んでいたような自分の部屋にしてしまう。僕も人のことは言えませんが……。 僕もさださんも、キレイ好きなんです、おそらく。自分じゃできないだけで(笑)。ようは神経質そうに見えて大雑把。アバウトなんです。そのへんでも気が合う。 実際話しても、非常にワイルド。デビューしたての頃の、ヴァイオリンを弾いていた繊細なイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていきました。まあ、ロックはアバウトですから(笑)。ロッカーで整理整頓好きはあり得ない。緊張と緩和で、緩和の部分がないとロックな人生は成り立たない。 曲も実は、僕から見ると、ロックテイストです。前々から思っていたんですが、さださんの歌はプログレそのものです。たとえば『飛梅』。あれ、エレキギターの間奏がロックテイストで非常にカッコいい。『まほろば』なんて、最後に「満月0」とシャウトしますからね。あれにやられました。そして『遙かなるクリスマス』。詩もさることながら、最後の「メリーメリークリスマス」のシャウト。「ついにここまで来たか!」と思いました。 さださんの音楽は、エレキやドラムの音をことさら強く響かせないから、気づかない人も多いのだと思いますが、根本的にフォークではなく、ロック、プログレなんです。◆しゃべるために前に出ることに抵抗 アルフィーとして、2018年の秋に、コンサート回数が2700回を超えます。「すごい数ですね」と言われるんですが、上には上がいる(笑)。さださんは4300回を超えてますから。衣笠祥雄さん亡き今は、「鉄人」の称号は、さださんのためにあるんじゃないでしょうか。 だってデビューしてから45年、ほぼ休みなく、全国を回っているわけでしょ? 45年以上続いているものといったら、『ウルトラマン』とか『仮面ライダー』くらい。でもあっちは、代替わりしているけど、さださんはたったひとり。やはり「鉄人」ですね。 アルフィーの場合は、1回のコンサートで10tトラックが5台半稼働するので、どうしても小回りがきかない。ギター1本でもライブができてしまうさださんには絶対に追いつきません。 さださんのコンサートには、個人的に何度も足を運んでいます。自分の父を亡くした直後に行ったコンサートでは、『防人の詩』を聴いて、会場で泣いてしまいました。当時、いろいろ物議をかもした歌ですし、父親を歌った歌でもありません。でも、人間の死とか、自然とか、そういったものを歌い込んでいる歌を耳にした時に、不覚にも号泣してしまった。深い歌だな、と改めて思いました。 ただ、さださんのコンサートを観ていて、ひとつだけ疑問なのは、あのMCマイク、なんですかねぇ? 歌の時は、スタンドマイクで歌っていて、MCに移ると、「で、それでね」と別のマイクを取ってしゃべり出す。 あれを初めて目撃した時は、頭の中がはてなマークだらけ。もしかして歌のマイクがスペシャルなのか? とかいろいろと考えてしまいました。トーク専用マイクを用意してるなんて、僕の知る限りさださんだけ。 たしかに、トーク中心のライブを開催したり、トークだけのCDを発売したり、トークを収録した本を出版しちゃうくらいですから、トークへの並々ならぬこだわりがあるのかもしれませんが……。ちなみに僕は、十津川村ネタや車掌さんネタが気に入っています。聴いているだけで、情景が浮かびますよね。 トーク中、ひとっところにとどまっていないで、ウロウロ動き回るのにも違和感がある。前に進み出てみたり、ステージの下手、上手と動き回ったり、バリエーションもたくさんある。MCマイクを掴むまでの動作も自然だし、見慣れてしまえばヘンに思わないんだろうけど、やっぱりおかしい(笑)。 僕の場合、ヘッドセットマイクをつけているので、さださんの真似をして、それをつけたまま前に進み出てトークをしたことがあるんですが、違和感がありました。「なんで俺、しゃべるのに前に出てきてしまったんだろう?」って。ギターのソロで前に出るのはいいけど、しゃべるために前に出るって、抵抗がある。 さださんの場合、しゃべって、歌って、そして書いて、というのがワンセットで、創作の三位一体なのかもしれませんが、それにしてもあのMCマイクって……。なんなんですか? さださん。※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より
2018.10.14 07:00
NEWSポストセブン
カズレーザーの心に響く「さだまさし作品に溢れる人間愛」
カズレーザーの心に響く「さだまさし作品に溢れる人間愛」
 金髪に真っ赤な衣装がトレードマークのお笑い芸人カズレーザー(メイプル超合金)は、読書家で高学歴のインテリとしても有名だ。その歯に衣着せぬトークは10~20代の若者の支持を集めるが、このテレビにひっぱりだこの人気若手芸人が、さだまさしの影響を色濃く受けているという。さだまさしの秘密に迫る短期集中連載、今回はカズレーザーが歌や小説のフレーズを具体的に引用しながら、その凄さを多角的に分析する。 * * *「さだまさし」を好きになったのは、両親が運転する車の中がきっかけでした。小学生の頃、毎週土曜日に、自宅から離れたそろばん教室に通っていたんですが、その車内でラジオが流れていたんです。 自宅を出るのが午後3時頃で、車のラジオをつけると、さださんがしゃべってました。その時、『北の国から』も知っていたし、『関白宣言』も聴いたことがあったけど、ラジオの中でしゃべっている人と、『北の国から』を歌っている人が繋がらない。 そもそも、番組ではリスナーのハガキを読んでるばかりで、さださんの曲がほとんどかからない(笑)。しばらくの間、土曜3時に文化放送でしゃべっているおじさんは、「ラジオパーソナリティ」だと思っていました。それもしゃべりが流麗な。 ところがこのラジオがとてつもなく面白い。気づくと、毎週、さださんのラジオを車内でがっつり聴く、というのが生活のサイクルになっていて、すっかり習慣化されていました。最終回も車の中で聴いたと思うんですよねぇ。 テレビ番組でカラオケは、「さださんとワム!しか歌わない」と言いましたが、あれはちょっと盛ってます(笑)。皆で行く時は、ジュリー(沢田研二)とか、大勢で盛り上がる曲をチョイスして歌います。でもひとりでカラオケに行く時は、ヘビロテでさださん。さださんを歌い続けて、最後は 『主人公』で締める、というお約束。 最近の「ひとりカラオケ」でのお気に入りは、『二軍選手』です。あの曲、本当にめちゃめちゃ好きなんです。行きつけのカラオケ店に入っておらず、なかなか歌えないのが残念なんですが(笑)。 さださんのアルバムで、最初に購入したのは 『夢の轍』でした。この中の『償い』(作詩・作曲さだまさし)をじっくり聴いた時に、「こんな歌を歌う人がいるんだ!」と衝撃を受けました。この歌の中に、こんなフレーズがあります。〈人間って哀しいね だってみんなやさしい〉 これなんだ、と思いました。さださんの魅力って。圧倒的な人類愛を伝えようとしている。それは歌手さだまさしであっても、小説家さだまさしであってもそうです。さださんの作品のすべてに「やさしさ」が通底している。 たとえば、星新一さんだったら「驚き」がメインテーマです。彼のショート・ショートは、たくさんの驚きで溢れています。同じような意味で、さださんのテーマは「やさしさ」なのです。『前夜(桃花鳥)』や 『遙かなるクリスマス』もそうです。 ここでは「人間個人の幸せ」が語られているんですが、実はそれを広げていっても、人類全体の幸せには決して繋がらない、という現実や矛盾を描いている。これ、さださんのメッセージだと思うんです。 個人の幸せ=人類全体の幸せ、ということじゃないのなら、個人と全体を切り離してしまって、個人の幸せだけを考えればいい、ということじゃない。ふたつを断ち切るんじゃなくて、「人間愛」を接点として、個人と人類全体を繋げようとしている。「個人の幸せ」がぶつかり合うこともあります。たとえば 『甲子園』(作詩・作曲さだまさし)。この歌は、喫茶店のテレビで夏の甲子園の準決勝を見ている、という設定なんですが、テレビの実況が突然、「ホームラン!」と叫びます。 普通に考えれば、ホームランはプラスのイメージです。しかも喫茶店で何気なく見ているんだから、「おっ、やったね」となる。ところがさださんは、このプラスのイメージを反転させるんです。〈また誰かの夢がこわれる音がする〉 ホームランを打たれたピッチャーの側から、ホームランを表現する凄さ。個人の幸せが、一方で別の個人を不幸せにしているというリアル。この切り口はさださんだなあ。『二軍選手』でもそうですが、さださんは一貫して、敗者にやさしい眼差しを向ける。これがさださんの「やさしさ」「人間愛」です。◆歌だけじゃなく小説も「人間愛」に溢れている 年間200冊以上、本を読みますが、さださんの本は、もちろんプロの小説家レベルです。僕は「さだまさしの詩」のファンなので、さださんの小説は、詩の世界を贅沢に楽しめるメディアです。小説の内容は、「人間愛」に溢れています。 いちばん好きな小説は 『眉山』。ひと言で言ってしまうと、「お母さんが死ぬ」という話なのに、最後の最後まで、お母さんの死を描写しない。これぞハートウォーミングの極致っていう表現で、悲劇なのに心が温まる。きっと「やさしさ」で溢れているからです。 ネタバレするので詳細は伏せますが、ラストシーンのお母さんの毅然とした態度、動揺するシチュエーションなのに表情を崩さない強さ。こういうキャラクターを生み出すさださんはすごいと思います。 ヘンな言い方かもしれませんけど、それこそ、手を替え品を替え(笑)、いろいろな表現やいろいろな方法で、さださんは「人間愛」というメッセージを伝えようとしていると思うんです。 僕たちは今、「さだまさしのいた時代」を生きている世代なんです。生まれた時にはすでにさださんがいた。こんな幸せ、ないと思うんですよ。「早起きしたら気持ちいい」とか、「焼きたてのトーストがおいしい」とか、そういうのと同じレベルの当たり前の幸せとして、僕はさださんを受け止めています。 さださん本人に初めてお会いしたのは、『生さだ』の時です。そのあと、関ジャニ∞さんの番組でもご一緒したんですが、企画のひとつとして、さださんが即興で歌を作ったんです。これがカッコイイ! さださん、音楽に集中している時は、キリッとして超男前になるんですね。で、そのままキリッとしておけばいいと思うんですけど、歌を作り終わったら、急にボケてくる。しゃべり倒す。……あれ、我慢できないのかなあ(笑)。 そうそう、『生さだ』の時のことも思い出しました。僕と一緒に、ももクロも出ていたんですけど、さださん、ももクロと絡む時に、どうしようもないほどデレデレするんです。そこまでデレデレするかっ、というくらい。さださん、かわいいコにだけデレデレしすぎじゃないですか? あれ、威厳なくしますよ(笑)。※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より
2018.10.09 07:00
NEWSポストセブン
被災地支援、歌の感覚… 泉谷しげるが語る「さだまさし論」
被災地支援、歌の感覚… 泉谷しげるが語る「さだまさし論」
 コンサートだけでなく、被災地支援でも全国を駆け回るさだまさし。2015年には災害復興支援などを目的に「風に立つライオン基金」を立ち上げた。同じくチャリティー活動や被災地支援に熱心なミュージシャンが泉谷しげるだ。対照的なキャラクターながらも、ともに被災地支援活動を行った経験もある2人。さだの活動や作品について、泉谷はどう見ているのか。さだの素顔に迫る短期集中連載、今回は泉谷が毒舌を交えながら、「さだまさし論」を語る。 * * * さだとは、デビューした当時からイベントとかでは一緒になっていたと思うけど、ちゃんと組んだのは、長崎・普賢岳噴火のチャリティコンサート。「泉谷しげるとスーパーバンド」というのを作ったんだけど、そこに参加してくれた。 アイツもそうだろうけどよ、被災地支援ってのは、オレらが勝手にやってるだけなんだよな。勝手に(被災地に)行って、勝手に(支援物資を)渡して、勝手にいなくなる。それだけ。誰に頼まれたわけでもない。自分勝手に、オレがやりたいからやってる。彼ら(被災者)にとっては迷惑千万かもしれない。でもさ、誰かがひどい目に遭ってるんだとしたら、心配しちゃうのはしょうがないよな。 2011年に武道館で「セイ!ヤング・オールナイトニッポン コンサート」ってのがあったんだけど、そこでさだと一緒になってね。打ち上げの場で、さだに向かって、「宮崎で口蹄疫・復興支援ライブやってンだけど、時間あったら来ない?」って軽い気持ちで誘ったら、その翌年の10月、本当に来てくれた。 それはいいんだけど、迎える側の宮崎の主催者のひとりが、「せっかくなんで、さだまさしさんと一緒に何かやってもらえませんか」とぬかしやがる。なんで自分のイベントで、そんな面倒なことやらなくちゃいけないんだよ。「やるか、コラっ!」って内心思ったんだけど、断れない。だから、仕方なく買いましたよ、さだのベストアルバム。 で、何か一緒にやらなくちゃいけないから、どれにしようかと思って聴いてるんだけど、いちいち難しい(笑)。具体的に言うと、ロックと譜割りが違う。オレらは2ビートか4ビート。正拍が基本なの。 ところがアイツの歌は正拍じゃない。一音にいっぱい言葉を乗せているし、1番と2番の歌詞でも乗せ方が違う。途中でテンポが変わることも多い。完コピなんてできっこない。それで、「まあこれなら歌えるな」という理由で、『案山子』を選びました。 一所懸命覚えてさ、必死に練習してさ、気づいたら朝の4時になっててさ、リハーサルで歌ったら、あのヤロウ、「『友達出来たかい』じゃない。『か』だ」と。うるせぇな、細かいこと言うな。いいじゃねぇか、一文字くらい(笑)。 そしたら本番でも「かい」ってやってしまった。「だから『かい』じゃない。『か』」だと。うるせぇな、コイツ(笑)。さだがNHKでやってる生の番組があるだろ? あそこで『案山子』のリベンジをしたよ。完璧に歌って、さだのファンを唸らせてやった。どうだ、コノヤロウ。 さだのもうひとつ面白いところは、大都市から離れた町に行きたがるところだよな。スケジュールを見せてもらって驚いたんだけど、もうビッシリ。「お前、そんな離れ小島まで行くのか」って言ったら、アイツ、こんなこと言ったね。「いや、だって大都会でやったって当たり前の評価しか得られない。田舎では歴史的な大歓迎をされる」「小泉進次郎か、お前は」ってツッコんでやったけどな(笑)。誰も行きそうもないところを進んで訪れるという精神は、震災の支援活動と一緒なわけ。あれだって、人が行きたがらないところに行く、やりたがらないことをやる、っていうのがいちばんありがたいわけだから。 最初は「暗いヤロウだ」と思っていたけど、近くにいて印象が変わった。よく考えてみたら、暗い歌が歌えるヤツは明るいんだな(笑)。暗い歌を歌ってるヤツが本当に暗かったら、そりゃ聴くほうも嫌だよな。体力も関係するな。暗く重い歌は、体力がないと、歌ってる本人が参ってしまう。中島みゆきだってそうだろ? アイツだって歌と性格が全然違う。 なぜ歌のイメージを歌ってるヤツに覆い被せちゃうかと言うと、歌をドキュメンタリーと勘違いしてるんだな。その人の経験を歌にしていると思い込んでいる。歌はドキュメンタリーじゃない。むしろ、小説に近い。 たとえば、その土地に行かなければその土地のことを書けないというなら、それは紀行作家かルポライターだよね。作家だったら、行かずして書けないといけない。作家は、経験主義じゃないってことなんだな。じゃなきゃ、月に行かなけりゃ、月旅行の物語は書けないのかってことになる。◆芸術というのは個人的作業による「発明品」 じゃあ何を歌っているのか。それはもしかしたら、過去のことかもしれない。未来のことかもしれない。今の自分の後の後、先の先……そういうものを描くのが創作だよね。それは小説でも歌でも絵でも同じ。 いい作品っていうのは、少なくとも自分の先を行っている。後から作家は、のこのことついていくわけ、その作品に。「作品が一人歩きする」っていうのはそういうことで、作家がもし、自分の経験しか描けないのだとしたら、作品は先には行けない。 そいつがダメでも作品が残るってこと、あるよな。あれは作品が本人のはるか遠くへ行っちゃったんだよ。歌の場合は、ファンが育てて成長させるってこともある。じゃあ、一人歩きする作品の大本は何かって言ったら、イマジネーション。正直に言えば、妄想(笑)。こっちは妄想膨らませながら、せっせと詞や詩を書いてるんだから。発明という言い方もできるだろうね。 オレは芸術というのは「発明品」だと思ってるんだけど、ようは妄想でひとつの人生や世界を創り出すわけだから。だから一個一個の歌を、もっと大事にしないと、と思う。だって自分の作った曲に、自分が影響されて、今の自分になっている、というのもあるわけだから。 そして発明というのは、常に個人的作業なんだよな。集団じゃない。さだの場合は、その「個人」が徹底している。たとえば『防人の詩』で、右翼だなんだって叩かれたけど、あれはそういう歌じゃない。 たいそうな歌詞だから誤解されるんだろうけど、実に個人的なため息だな。「個人的なため息」だから、皆でシングアウトできない。皆で合唱したら、右翼的なナショナリズムに繋がっていくけど、あんなため息、歌えないだろ? あの歌を聴いた後で残るのは、さだ個人の感覚なんだよね。「個人の感覚」というのは、その人しか生み出せない。だから発明。きっとさ、『防人の詩』だって断れなくて作ったんだと思うぜ。でも映画のテーマ曲を歌ってるようで、映画にすり寄っていない。 オレはリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』という映画が好きで、続編の『ブレードランナー2049』も観に行った。でもさ、これがスッキリしないのよ(笑)。さだまさしの映画を観てるのと同じくらいスッキリしない(笑)。 ようはこの映画も、リドリー・スコットの「個人的なため息」なんだな。SF映画として観るからスッキリしないんであって、「個人的なため息」と思えば、わかる。ただ、こういう「個人的なため息」に100億円以上かけてンだろ? 日本じゃ企画が通らないだろうね。 何が言いたいかって、人を揺さぶるものは、それが何であれ、「個人的なため息」なんだよ。さだはそれをずっとやってンだよ。『案山子』もそうだよ。ドキュメンタリーじゃないだろ? あんなヤツが近くにいてさ、「寂しかないか」「お金はあるか」ってしつこく聞かれたら、「うっせーな、コノヤロウ」ってなるよ(笑)。オレのセオリーにはない。でもだからこそ、「さだはすげぇな」と思う。 時代にすり寄った作品には何にも感じないが、「個人的なため息」っていうのは、個人である分、思いが強い。だから、「金頼む、なんてオレは親に電話しねぇぞ」って思うけれど、親になかなか連絡しないというのは、どこかで思い当たる。「ああ、オレ、親に冷たくしてるかな」とか思ってしまうんだろうね。痛いところを突いている。これが「作家」なんだろうね。※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より
2018.10.07 07:00
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さだまさしは「松本人志に崇拝され、立川談志に嫌われた」
さだまさしは「松本人志に崇拝され、立川談志に嫌われた」
 音楽活動を中心に、小説やテレビ、チャリティーなど、幅広い分野で活躍するさだまさし。その行動力や発想力の源泉を探る短期特別連載に登場するのは、同じくバラエティー番組や映画などで多彩に活躍する笑福亭鶴瓶と、TBSドラマ『下町ロケット』などでの名演も話題の立川談春。さだとの親交も深い東西の人気落語家2人が、さだの人間性について語り合う。 * * *談春:鶴瓶師匠と「さだまさし」を肴に語るなんて、いいんですか? こんなことしちゃって。でも、読者の皆さんの多くは、鶴瓶師匠とさださんの関係がわからないんじゃないですかねぇ。もともと、師匠の一方的なラブコールから関係が始まったってんでしょ?鶴瓶:そうそう、そうやねん。僕が最初に持ったラジオが名古屋なんですよ。東海ラジオの『ミッドナイト東海』っていう番組。大阪人からすると名古屋ってキッツイところで、大阪と東京のど真ん中だから微妙なプライドがある。だからって名古屋に媚びるつもりもないし、「こんばんは。笑福亭鶴瓶でございます」って普通にやってたんやけど、その時の定宿が繁華街にある老舗ホテル。でね、このホテルに仲のいいフロントマンがいて、俺がさだまさしのこと、好きやって知っているから、ある時、「今日さださん、泊まっていますよ」と耳打ちしてくれた。談春:師匠とその方の間に特別な人間関係があったから教えてもらえたんでしょうね。いつ頃の話ですか?鶴瓶:ちょうど映画『長江』をやってた頃かなあ。でな、さだまさしが泊まってることに驚いて「うわー」って口にしたら、「なんかメッセージ書きませんか」と言ってきた。「そんなん失礼でしょ、会ったこともないのに」って言いつつも、まあちょこちょこっと書いた。そしたら、そしたらな、あの男、深夜の生放送に飛び入りで来よったんですよ。談春:この話、まさしさんからも聞いたことあるんですけど、まさしさんいわく、打ち上げが終わって深夜1時過ぎにホテルに帰ってきたんですって。そしたらフロントマンから手紙を渡された。まさしさん、落語好きだから「笑福亭」に反応した。鶴瓶:びっくりしたわぁ。この人、何すんねんって。でもそこで意気投合して。この番組の時はいつも同じホテルだったから、まっさんとたびたびホテルで顔合わせるようになった。でな、ある日、まっさん、飯食いながらマネージャーとしょうもないダジャレの大会みたいなのをやっている。で、仕事終わって帰ってきたら、まだやってた。いつまでやってんねん!(笑)談春:それ、ホテルプラザじゃないですか?鶴瓶:いやいや違うねん、そのホテルでもやっとったんよ。談春:プラザはあれですよね、朝の10時から、桂小米朝兄さんとか、横山ノックさんとか、会う人、会う人としゃべり続け、鶴瓶師匠が夕方5時に仕事が終わって戻ってきても、まさしさんずっとそこにいたという(笑)。鶴瓶:急に思い出したけど、この間びっくりしたのが、まっさんから電話かかってきて、「鶴瓶ちゃん、今、大阪? この間のところで飲んでいる」って言うわけ。「誰と飲んでんねん」って言ったら、なんとダウンタウンの松本(人志)。で、後日3人で飲んだんやけど、松本はさだまさしを「崇拝してる」って言うから、「お前、それ間違ってるで!」って言ってやった(笑)。談春:テレビでも「『道化師のソネット』が好きだ」って言ってましたね。鶴瓶:あのダウンタウンの松本が、さだまさしを崇拝し、しかもまさしのしゃべりも好きやって言うんやで? そりゃ誰を好いてもいいけど、しゃべりは松本のほうがすごいやろ? それなのに、「あのしゃべりがすごい」と言うてね。「松本、お前、誰褒めてんねん。さだまさしはお笑いちゃうで」って注文つけといた。談春:われわれ、まさしさんとずっと付き合ってますから、尊敬が薄れてるんですよ(笑)。いいこと言うんです、◆ガムテープのボールと配水管の穴で「延々とゴルフ」鶴瓶:まっさんは、言うても「超我流」やから。無茶苦茶にも「超」がつく。そやけど、俺は好きやから。俺はまっさんに最初に「好きや」と言うてしもうた。「好き」っていうのは、その人に「負けた」ってことだから。どんな無茶なことを振られても、この人のためだからやってあげたいと思う。そんな人、ぎょうさんいます?談春:師匠以外には言えない台詞だなあ。まさしさんのことを評価する時に、歌がどうの詩がどうの、というのがあるけれど、そんなことじゃないんですね。ひと言「好きや」と。そして「好きだ」と思った瞬間に「負け」なんですね。でも師匠、そうとう無茶振りされてきたでしょ? 落語でも……。鶴瓶:あれな。まっさんに洗脳されてたのかもしれんけど、会うたびに、まっさんに言われてて。「鶴瓶ちゃん、あなたはね、人情噺が合うよ。絶対合うよ」談春:落語っていうのは、落とし噺です。オチがあって面白い。人情噺っていうのは、まあバラードっぽいところがある。まさしさん、鶴瓶師匠には「人情噺が似合う」と言い、僕には「鶴瓶に絶対やらせるから」と言っていた。「当人はそう思ってないかもしれないけど、鶴瓶ちゃんは人情噺をやるべきだし、できる」って断言してましたから。鶴瓶:私が落語を本格的にやり出したのは、50歳を過ぎてからです。他にもあるけれど、まっさんに耳元で散々言われ続けたのも理由のひとつやなあ。談春:そういえば、師匠がゴルフを始めたきっかけもまさしさんの無茶振りからだって聞きましたよ。鶴瓶:その話な。まっさんが詩島(うたじま・長崎県)買った時、遊びに行ったんだけど……。談春:『雨やどり』が売れたから無人島を買ってしまったという話ですね。鶴瓶:そこでな、まっさんが紙をガムテープでグルグル巻きにすんねん。これがゴルフボール(笑)。配水管の穴だかなんだかがあちこちにあって、その穴にガムテープボールを棒かなんかで打って入れる。ゴルフもどきのゲームなんやけど、何が楽しいねん! しかもこれを飽きずに延々やり続ける。やめさせてくれない(笑)。談春:島では逃げられないですからね。鶴瓶:逃げられないし、まだ会って最初の頃でちょっと遠慮もある。「もうやめませんか?」と言ってみるんだけど、終わらない。そんなに打ち解けてるわけでもないから強くも言えない。今だったら「もうええやろっ、いい加減にせいや」と言えるけど……。でもまあ、そこが面白いといえば面白い。まっさん、ずっと本気でやってんねん。談春:談志もそうでしたが、あの人たちは馬鹿馬鹿しいことほど真剣にやるんです(笑)。でも鶴瓶師匠も結構、張り合ってますよね? まさしさんは遠慮しているより、張り合ってくるほうが喜びますからね。本人も張り合いたい(笑)。『かすてぃら』もそうだと睨んでるんですけど、あれね、僕の『赤めだか』に対して腹立ったんですよ(笑)。鶴瓶:どういうこと?談春:あの本を出した時、まさしさんに「あの本、評判いいなあ」と言われたから、正直に言ったんです。「あ、あれね、『さだまさし』の文体で立川談春を書いただけですから」って。僕、学生の頃、写経するように、まさしさんのアルバムのライナーノート、一字一句ノートに写してたんです。よく、小説家志望の人が、芥川龍之介や夏目漱石を書き写すっていうでしょ? あれを僕は、「さだまさし」でやったんです。そしたらそのあと、『かすてぃら』が登場した。読んだら、まさしさんの20代の頃の文体(笑)。『茨の木』とか『解夏』とか、文体も引き出しもたくさん持っている人だけど、『かすてぃら』は昔のさだまさしだった。あれ、きっと『赤めだか』が悔しかったんです(笑)。しかし無茶苦茶な人に限って、くだらないことで人に張り合う(笑)。談志もさだまさしが大ッキライでしたから(笑)。鶴瓶:そうなの?談春:一度、聞いたことがあるんです。なぜですかって。そしたら、「さだまさしってのは、ウケてるんだろ? 歌手なんだから歌ってりゃいいじゃねぇか。なんでしゃべるんだよ」。談志がそれを知っているのもすごい(笑)。また、おかみさんが『秋桜』とか『無縁坂』がとっても好きで、「でも私は好きなのよ」って余計な茶々を入れる。「そういうことじゃなくてさ、歌ってろって伝えとけ」って言うから、ああこの人、俺がまさしさんと付き合ってるって知ってるんだなあって驚いた。談志は自分以外がウケるのが許せないんです(笑)。※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より
2018.09.30 16:00
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フジテレビから中継、引退撤回… 『生さだ』事件の舞台裏
フジテレビから中継、引退撤回… 『生さだ』事件の舞台裏
 さだまさしがラジオのDJスタイルで軽妙なトークを展開する『今夜も生でさだまさし』(NHK総合、通称『生さだ』)。視聴者がハガキで寄せる質問や悩みに対して、さだが豊富な知識と経験を生かしながら、台本なしで答える深夜の生放送番組だ。さだの素顔を探る短期集中連載の第2回は、『生さだ』プロデューサーの飯塚英寿氏と、番組でさだの隣に座る構成作家の井上知幸氏の対談を紹介。ぶっつけ本番の人気番組の舞台裏とは? * * *飯塚:さださんとは1991年の『紅白歌合戦』の楽屋で話した記憶があってそれ以来のお付き合いです。その前はちょっと覚えてない(笑)。さださん、新しい番組企画に興味がある方なんで、「なんか面白いことやろうよ」といろんなネタを持ってきてくれる。で、いよいよ番組を立ち上げようということになって……。井上:さださん行きつけのホテルのバーに呼び出されたんです。飯塚さんから「企画があるから来ないか」と。さださんと面識はありましたが、きちんと話したことはありません。滅多にテレビに出ない人でしたし、演出家と大ゲンカして『紅白歌合戦』を降りたという話を耳にしていたので、僕の中では“怖い人”というイメージ。実は行く前からビクビクしていて、内心、嫌でした(笑)。ところが会ってみたら、気さくで冗談ばかり。まったくふざけた方でした。飯塚:それで3人で毎週のように会って話すようになりました。私は当時主流の「作り物」が嫌で、そうじゃない番組を作りたかったんですが、その流れで、「どこかへ行きたいですね」となった。そしたらさださんが「そういえば頼まれて岐阜の谷汲村(たにぐみむら)ってとこの村の歌を作ったけれど、一度も行ったことがない」と。「無責任ですね~」と返しながら、「じゃあそこに行ってみましょう」ということになった。井上:その時のさださんが、「旅番組は多いけれど必ず行く前からカメラが待ち構えている。それはおかしい」「約束事のない旅番組をやってみたい」と言う。これに飯塚さんも僕も食い付いたんです。当時は誰もやっていなかった。飯塚:これはさださんのネタになってるんだけど、「飯塚は番組で一緒に旅するとしたら、キレイな女性がいいと言った」と。そんなこと言ってないんだけど(苦笑)、結局、さださんの希望で、鶴瓶さんと一緒に谷汲村に旅に出ることになりました。井上:最初の台本は、『素晴らしきニッポン』というタイトルでした。飯塚:実際は、『さだ&鶴瓶のぶっつけ本番二人旅』というタイトルで1995年の夏に放送しました。最初から、ロケで完結させないで、スタジオでまとめる形にしたかったんです。井上:2人で谷汲村に下見に行きましたね。役場にはきちんと話を通しましたが、雑誌記者だと嘘をついて極秘で取材をしました(笑)。NHKの番組が来るとばれてしまうと、普通の旅番組と変わらなくなってしまいますので、できるだけ内密にと。飯塚:やってみて初めてわかったんですけど、さださんは極度の人見知り(笑)。前から高校生が歩いてきても、すーっと離れていく。逆に鶴瓶さんは人頼み。今でもそうですけど勘が働くのか、これぞ、という人を見つけ出す。人見知りと人頼みのコントラストが最高におかしくて、番組として成立したんです。井上:さだ・鶴瓶コンビの特番は、結局3回でしたね。飯塚:さださんは飽きっぽいんですよ(笑)。3回で精一杯。井上:そういえばカメラもすぐ飽きますよね(笑)。飯塚:さださんはカメラ好き、ガジェット好き、新しい物好き。iPadも誰よりも早かったし、アップルウオッチも「もうしてる!」と驚かされたけど、次に会った時にはしていない(笑)。早くから作曲にマックも使ったし、とにかく最新のデジタル機器に反応する。でもマスターするとすぐに飽きる。カメラもキヤノンの5D、7D、ソニーのミラーレス一眼……といつも新型を持っているけど、すぐにあげちゃう。井上:iPhoneもいつも新型を持ってますもんね。でも使うのはなぜかガラケー(笑)。◆さだまさしは「60歳で引退」を考えていた飯塚:『生さだ』も100回をとうに超え、いろんなハプニングや出来事がありましたが、2008年10月にお台場のフジテレビから『生さだ』を放送したのは、結構な事件だったんじゃないかなあ。井上:当時のフジテレビ編成制作局長から『眉山』の映画化PRのハガキが来て、普通、フジの社員の手紙をNHKで読む、ということはあり得ないんですが、『生さだ』だからできてしまった。飯塚:それでさださんが、「読んであげたんだから、お礼にスタジオを貸してよ」と無茶振りしたもんだから大変なことになって(苦笑)。フジの協力を得て、球体展望台の中からフジテレビの技術のスタッフによって、映像をNHKに飛ばしたという。さださんはこういうトライを非常に面白がってくれて、積極的に乗ってくれるんです。井上:僕は、東日本大震災の1カ月後に急遽放送した回が印象に残っていますね。飯塚:あの時、さださんに、「これ、やれたらやりますか」って言ったら「やろう!」って即決してくれて。放送枠がない時点での編成への提案だったんですが、うまく空きを見つけてくれて、さださんもスケジュールを調整してくれました。被災地の人はテレビが観られない、という理由で、ラジオでも放送しました。井上:観覧の方も入れずに、スタッフのみ。インフラの復旧などの問題もあったので、この時は特別にメールでもお便りを募集しました。2000通以上集まったのを覚えています。そのあといろんなところで口にされてますけど、さださん、実は60歳で引退しようと考えていたそうなんですね。この時59歳ですから、翌年の2012年には辞めようと思っていたということです。「俺は何をバカなことを考えていたんだろう。まだまだ必要とされる自分がいるなら、続けていくのが『さだまさし』じゃないか」とおっしゃっていました。飯塚:あの放送は、「何か聴いている人に意味のあることを届けたい」という思いがありました。テレビというメディアは、面白ければいいじゃないか、というスタンスで走り続けてきた側面もあるんですが、面白さやスピードだけになってしまうと、芯がなくなってしまう。そうじゃなくて、伝えるべきものをきちんと伝えようよという思いが、さださんにもスタッフの中にもありました。井上:やっぱり最初は笑っちゃいけないんじゃないかとか、余計なことを考えてしまって、さださんも硬かったですね。でもだんだん普段の調子に戻ってきて。で、最後に何を歌うか、さださん、すごく迷ったんです。「歌わない」という選択肢もあったんですが、さださんは「歌手として歌を届けたい」と。内心、しんみりとした歌で終わるのかなと思っていたら、さださんが選んだのは『春爛漫』。軽快な歌を、しかも途中笑いを誘いながら歌ったんです。最後に楽しく明るい笑顔で終わったというのは、非常に印象的でした。ああ、自分たちが届けないといけないのは、こういうものなんだと、改めて気づかされました。飯塚:『生さだ』は業界にもファンが多くて、番組内で「隠れ『生さだ』ファン大集合!」と題したコーナーをやったことがあるんですが、その時は五十音順に、赤坂泰彦さん、大杉漣さん、小田和正さん、佐渡裕さん、笑福亭鶴瓶さん、徳永英明さん、登坂淳一さん、中島みゆきさん、南原清隆さん、東山紀之さん、森山直太朗さん、吉永小百合さんの12名の方を紹介しました。吉永さんは番組に直筆ファクスを送ってくれたんですが、さださん、大事そうに持って帰りましたもん(笑)。井上:松坂慶子さんはスペシャルに出ていただきましたし、他にも爆笑問題の太田光さんとか、日本ハムの栗山英樹監督とか、いろんな方が観てくれているようです。飯塚:さださんが「嫌だ」と言わない限り、これからも『生さだ』は続けていけるように頑張ります。皆さんもぜひご覧ください。……さださんはともかく、自分たちスタッフの体力が持つのか心配ですが(笑)。※さだまさしとゆかいな仲間たち・著/『うらさだ』より
2018.09.29 16:00
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