幕末、困窮を極めた南部藩の農民が3万人近く、田畑を捨て、村を捨て、国を捨て隣りの仙台藩に逃げる大規模な百姓一揆が起こっていた。実はこっちの方が大きな事件で、黒船来航がなくても幕藩体制は倒れ、開国せざるを得なかったと大佛次郎は言うんです。この作品を読んでからですよ、日本の歴史をもう一度見直そうという気になったのは。
もう1冊、今も感動を忘れられない本が『日日是好日』【2】。作者の森下典子さんが20歳のときから25年間、ある先生にお茶を習った体験談です。作者とご縁があって送っていただいたんですが、もう「まえがき」から感動しました。ひと言で言うと、これはお茶の本であってお茶の本ではない。究極的には人生の本です。実は落語の本としても読めるし、実際そのように読んだこともあります。それほどお茶を通して生きることの真実が描かれている。さらにこの本が素晴らしいのは、人を感動させてやろうとか、驚かせてやろうとか、そういう策略に基づいた書き方をしていないところです。
それは落語にも通じることで、私は若い頃、師匠(5代目柳家小さん)から「笑わせるところで笑わせるな」と怒られました。「お前みたいに噺の途中の面白いところでいちいち笑わせようとしたら、噺が噺じゃなくなっちゃう」と。困ったことに、「笑点」が流行っちゃって、落語は「笑点」の延長で、ただの笑い話みたいに思う人が増えてしまった。でも、違うんです。
落語との関係で忘れられないのが国木田独歩の「忘れえぬ人々」【3】という短編小説。主人公が旅の途中で出会った無名の人々について語るという内容で、これを高校の国語の授業で朗読させられました。読み始めた途端、自分がその世界に入っていくのを感じました。先生も級友も黙って聞いていて、他の生徒に交代せず、ずっと私が読み続けました。あのとき落語に通じる「間」というものを学んだんです。