「膵臓がんの手術後、肝臓への転移も見つかりました。毎週がんセンターで抗がん剤治療を受けていましたが、ある日調子が悪かったのか、“心臓が止まったら、蘇生は望まないよ”って言ったんです。私は、“はい、わかりました”って。娘とも、“お父さんの意思を尊重してあげようね”という話はしていました」
「余命は数か月」とみられていた雅博さんは、最初にがんが見つかってから2年4か月間を生き、2017年3月に70歳でこの世を去った。がんに冒されながら、診察や僧侶としての講演活動などを精力的に続ける雅博さんの姿を見て、貞雅さんの心に揺らぎがあった。
「亡くなる1か月前くらいには、ガクンと調子が悪くなりましてね。でも、ついこの間まで護摩行をやっていたし、医師の仕事もしていた。入院してモニターを付けていましたけど、心臓は動いているし、呼吸もしている。孫が遊びに来ると、ちゃんと手を挙げてハイタッチまでするんですよ。
私は医者ですから、死期が近づいていることはわかります。それでも、まだまだ生きると思ったし、生きてほしいとも思いました」
身近な人でさえ、最期の時が迫ると気持ちに変化が生じる。ましてや、臨終が近いとなると、普段は一緒に暮らしていない親族も集まる。本人が尊厳死宣言を残していても、延命治療の中止に反対する人が出てくることも考えられる。
日本尊厳死協会関東甲信越支部長の丹澤太良氏が指摘する。
「土壇場になって、『やっぱりできることは全てやってあげるのが子供の仕事だ』と延命治療を願う家族は少なくない。特に、遠くに住んでいる親族ということが多い印象です。“それでも治療を受けさせる”“いや、本人の意思じゃない”といった押し問答が病院で交わされることになります」