〈やっぱり自分に負けることが一番悔しいし。向上心はいつも忘れずにいたいしね〉(山梨日日新聞1991年8月14日)
いくら努力を続けようとも、盛者必衰は避けられない。田原の人気も1990年代に入ると低下していく。1991年の主演ドラマ『次男次女ひとりっ子物語』(TBS系)は、『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)という強力な裏番組の存在もあり、全話平均視聴率10.6%に終わる。
翌年、雪辱を期す機会が巡ってくる。漫画『課長島耕作』の実写版映画の主演に抜擢されたのだ。根岸吉太郎監督は田原と島耕作の共通点をこう話していた。
〈反骨精神や個性的な部分。いろいろな挫折を味わっても上手く出世していくところ。動物的カンを持ち合わせながら、しかもクレバーで、表面にはクレバーさを出さない点なんか似てますよ〉(『FRIDAY』臨時増刊1992年8月31日号)
田原と接すれば、内面的な強さや良さが十分理解できる。だが、世間はデビューから12年経っても、「あはははは!」という笑い声に代表される表面上の軽薄なイメージを引きずっていた。田原自身、こう語っていた。
〈イメージっていうのはね、印象にすごく強く残りやすいですからね。僕らみたいな(アイドルという)ポジションの人は特に〉(TBS系『アッコにおまかせ!』1992年9月27日放送)
公開前にはシリーズ化が検討されていた『課長島耕作』は、1作で終わってしまう。世間の抱く田原俊彦と島耕作のイメージが合致しなかったのかもしれない。
そして、1994年2月17日の長女誕生記者会見に端を発したマスコミによるバッシングとジャニーズ事務所独立が重なったこともあり、田原をメディアで観る機会は激減した。
それでも、田原俊彦はめげたり、しょげたりしなかった。
〈場面さえ与えられたら、ぜったいに人には負けないという気概はあります。オレのパフォーマンスは負けないって。もちろん、時代が欲するものと、自分の立場、今の環境というものはあるから、必ずしも、思いと現実のバランスがとれているわけじゃない。でも、「負けないぞ」という気持ちがなくなったら、終わりでしょう。自分を信じ続けないと〉(『婦人公論』2001年9月7日号)
◆何歳になろうと人を幸せな気持ちにさせる表現者
1980年代に頂点を極めても、1990年代に苦境に陥っても、2000年代にどん底を迎えても、10年代に人気復活の兆しが見えても、田原の精神は何ら変わっていない。