その背景には、小学1年生の時に父親を亡くして金銭的には苦しい少年時代を送ったことがあるのに加え、偏見を持たれがちな“アイドルという出自”も「負けてたまるか」という反骨心に拍車を掛けたのではないか。
田原俊彦のライブに行くと、何十年もファンを続けている人たちが沢山いる。子育てを終えて、久しぶりに帰ってきたファンも大勢いる。近年、男性が3割くらい占める会場もある。
MCでは昔と変わらずに「あははは!」と無邪気に笑うアイドル性を保ちながら、ひとたびイントロが鳴ると真剣な表情に切り替わる。
57歳で2時間歌って踊る凄味を体感した観客は、公演が終わると「ありがとー!」とステージを去ろうとする男に感謝を口にし、満面の笑みと計り知れない幸福感を抱いて会場を後にする。
10代だろうが、30代だろうが、50代だろうが、人を幸せな気持ちにさせる表現者は“アイドル”なのだ。
いつまでもファンの期待に応え続けていれば、何歳だろうと、アイドルと呼べるのではないか。
“アイドルからの脱皮”を図る必要なんてないし、喜んでくれるファンがいる限り、アイドルは永遠にアイドルであり続けるのである。
アイドルとファンは幸福な関係にある。田原俊彦は事あるごとにコンサートで照れながらも、こう呟く。「みんながいなければ、僕はいないですから」──。
ファンはこう思っているはずだ。「トシちゃんがいなければ、私はいない」──。
メディアにバッシングを喰らっても、ファン以外の人から嘲笑されても、田原は変わらずにライブで歌って踊っていた。
ステージに立てば、暖かく迎え入れてくれるファンが存在する。だが、その状況に甘えてライブの質が低下すれば、ファンは離れていく。良好な関係を壊さないために、田原は努力を続けてきた。
その根底には、「信じられるのは自分と、負けないぞという気持ち」があるのだ。ライブのMCでそう述べた後、田原は少し恥ずかしそうに、やや小さめの声で会場のファンに告げた。
「(他に信じられるのは)愛する数えられる友達、ステージを一緒にやる仲間、(ファンの)みんなです」