認知症になってしまえば老人の美学を維持するのは難しいだろう。しかし脳の衰えを自覚してないうちから二枚目老人としての肉体的訓練を重ねていれば、いざ認知症になったとしても身体や精神の一部がそれを記憶していて以前の言動を維持し、老醜を避けてくれるであろうと思うのだ。少なくとも演技者としての小生には、それは可能であるという気がする。
とか何とか言って、いざ百歳を超え、いよいよ惚けはじめた暁には、これ以上ない老醜をさらして世の笑い者になるかもしれないのだが、勿論こちらには何もわからないのだから、その時は知ったことではない。
●文/筒井康隆(作家)
【PROFILE】1934年、大阪市生まれ。同志社大学文学部卒。1981年『虚人たち』で泉鏡花文学賞、1987年『夢の木坂分岐点』で谷崎潤一郎賞、2000年『わたしのグランパ』で読売文学賞を受賞。2017年『モナドの領域』で毎日芸術賞を受賞。近著に『不良老人の文学論』など。
※SAPIO2019年1・2月号