そうなることなく、定年退職後の人生を豊かで充実したものにするためには、死ぬまで「稼ぐ力」が必要となる。「稼ぐ力」があれば「名札」と「値札」が付くから、自分が勤める会社では余人をもって代えがたい人材となり、他社からも引く手あまたになる。起業することもできるので“定年”という概念はなくなる。
その「稼ぐ力」がないと、会社依存の人生、他人依存の人生、政府にいいように左右されてしまう人生になってしまう。だが、自分の人生は自分自身で操縦桿を握ってコントロールすべきである。
◆「稼ぐ力」は“見えない貯金”である
そもそも人生は、働くためではなく、楽しむためにある。
たとえば、イタリア人は人生をエンジョイすることしか考えていない。みんなそのために働いている。男性の多くは昼と夜に二つの仕事を持っているし、女性も子育てが終わったらせっせと働く。稼いだお金は貯金せず、人生を楽しむためにどんどん使う。夏のバケーションは1か月以上が当たり前で、長い人は2か月休む。最後は貯金がなくても年金があれば何とかなるさ、と考えているのだ。
しかし、そういう割り切った発想は、日本人にはできない。重い病気になるかもしれない、年金だけでは生活できなくなるかもしれない、といった「漠たる将来の不安」から大半の人が消費を節約して貯蓄に励み、個人金融資産が1800兆円以上に膨らんでいる。だが、これは間違っていると思う。
私は2004年に『50代からの選択』という本を書いたが、その要旨は、50歳までに出世していなければもう将来の見込みはないから、人生そのものをエンジョイしてハッピーに死ぬことを考えなさい、というものである。
それに対して近著『50代からの「稼ぐ力」』で伝えようとしたメッセージは、50歳までに出世していなくても「稼ぐ力」さえあれば、自分の好きな人生を生きることができるという、より前向きなものである。「稼ぐ力」は、50代になってから勉強しても遅くはないが、できればもっと早く、40代までに身につけることが望ましい。
定年退職後に限らず、どの年代でも「稼ぐ力」があるというのは、いわば柔道や空手の「黒帯」を持っているようなものだ。もし何らかのトラブルや転機に遭遇したとしても、黒帯の実力を持っていると余裕があるからビクビクしないで済み、人生が安定するのである。