小沢一郎氏は、47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)
◆「小沢面接」の真相(1991年10月)
〈海部(俊樹)内閣は総辞職し、自民党はまたも後継首相選びに入る。リクルート事件の“禊”が済んだということで、総裁選には宮沢喜一、渡辺美智雄、三塚博の3派閥領袖が名乗りをあげた。
一方、小沢は幹事長辞任後に経世会の会長代行に就任し、金丸―竹下―小沢のトロイカが政治を牛耳る「金竹小」時代が始まっていた。そこで起きたのが「小沢面接」である。年長の3人を呼びつけて総裁の資質を問い質すという構図は、「傲岸不遜な小沢」のイメージを世間に印象づけた。〉
小沢:あれはもともと、一対一(での面談)のつもりで、「私から話を伺いに行きます」と言った。そうしたら「私たちは候補者だから、有権者に挨拶に行くのは当たり前です」と言うから、「それでは(私の事務所で)お待ちします」となった。それがマスコミでは「小沢面接」ってなってしまったんです。「自分(小沢)から行くと言っていた」と世間に説明してくれたのは渡辺みっちゃんだけ。宮沢さんは何も言わなかった。